第13回 学校の使命

イエス・キリストに根ざした福音宣教する学校
-カトリック学校の使命を果たすこと-

泰星中学高等学校
浦 善孝

「教会にとって福音をのべ伝えるとは、『よい知らせ』を人類のすべての階層にもたらし、『わたしは万物を新しくする』とあるように、固有の力で人類を内部から変化させ、新しくするという意味をもっています」(教皇パウロ6世、『福音宣教』no.18、1975年「ペトロ文庫版、2006年」)。

信仰を異にする教職員が、相互に宗教意識などの差異とそれから派生する葛藤をどのように理解し、その意識化によってどの程度の統一性を達成できるかという点にかかっている。…そして、教職員一人ひとりは、カトリック学校に新たな意味を注ぎ込む主体となることが期待されている。(北川直利『ミッションスクールとは何か』岩田書院、2000年)

カトリック学校の「根本決断」
-イエス・キリストに根ざした福音宣教する学校-

(1)カトリック学校は福音宣教の使命を持った教会の一部であり、同時に「完全な学校」
①神中心の学校 God centered school / not Godless School
→キリスト教的人間論 原罪の自覚と恵みによる人間性の回復と、超越に開かれた人間。人間教育における宗教の重要性。「恩寵は自然本性を廃棄せず、むしろ予想し、完成する」。この教育理念に合致しない自然主義やプラグマティズム等に拠る教育哲学に批判的。
②イエス・キリストとその後継者である教会に結ばれて、福音宣教を行うpastoral institute。
カトリック教会と学校の関係→勝手にカトリック学校と称することができない。
③キリスト教的価値観を基盤とした教育を行う「完全な学校」(『青少年の教育』p.31)。
カトリック教会は、自らの人間観と理念に基づいて全ての人びとを教育することができる教育の主体であると考えている。(『キリスト教的教育に関する宣言』#序~2)
a)キリスト教的価値観は、特に福音書のイエスの姿(言葉と行い)に基づく。
b)「福音化」は、判断基準、価値観、関心の的、思想傾向、インスピレーション、生活様式など、人に深く関わる(『福音宣教』no. 19)。カトリック学校は、生徒一人ひとりのそのような点に関わろうとする。
c)同時にカトリック学校は、すべての「学校」と同じ目標を分かち合っている。「学校そのもの」によって提供される教育は人間が真に成長してゆくために必須であり、教会はそれをすべての人びとに提供する責任があると自覚している。
-多くのカトリック学校は、「全日制普通科」(general education)である。
-生徒に高い期待を抱かせ、よい生活習慣と高度な学力を身に付けさせる。
→上記の①~③を学校の教育理念(educational policy / educational ideology)とする。

(2)カトリック学校の使命の拠りどころ
教育共同体の一員として、同じ教育に関する価値観を分かち合い教育活動を行なうことが期待されている。それは、不可避的に自分の生き方の態度決定を迫られる経験でもある。
①福音書のイエスの姿(言葉と行い)
②学校の設立母体である修道会の創立者の精神
③日本におけるカトリック学校が共通して持つミッション

2.カトリック学校の根本決断の刷新(renovation)-新・福音宣教する学校-
(カトリック学校の健全な保守主義 healthy conservatism of Catholic schools)

(1)カトリック学校で働く教職員のministeria (ministerium→勤務、奉職、役目、任務)
①カトリック学校が特別な使命を帯びており、その使命を果たすためには、教職員もそれを自覚する必要がある。カトリック学校の校務分掌を“ministeria”と理解したい。(ロマ書10:15)そうすることで、学校の根本決断と自律的に関わることができるのでは?
②カトリック学校の根本決断(カトリック学校の使命)と、そこで働く人々一人ひとりの生き方(vocation)や教育哲学が重複する領域があるとするならば、その領域において学校に関わる人々が協力してカトリック的教育を実践することができると思われる。
③生徒や保護者、地域住民の方々と学校の根本決断を分かち合う。

(2)教職員と経営母体である修道会との対話 mission visionの共有のため
①設立母体の最新の宣教意識を共有する。→宣教意識 implementationの場である学校
②修道会と学校現場レベルの教職員との対話 相互理解と創立者の精神の共有
a)修道会から → 学校が修道会の使徒職の場であるという意識 … visionの提示
b)教職員から → 自分の人生の実現に必要な場 … sheared vision
③司教区と各カトリック学校の関係→修道会は教会(司教)とのofficialな接続点
④設立母体の修道会によるスポンサーシップ
a)修道会は理事会メンバーとして学校経営に関与する。(設立母体の権利)
b)修道者・教職員からなるアニメーター・グループの設立。
c)理事会と校長、アニメーター・グループがカトリック性を維持・発展させる核。

(3)「協働の意識」とネットワークによる新しいカトリック学校の形態
①新たな担い手によって、学校の根本決断を自由に表現して行く。<第二の創立期>
② leadership shift / カトリック学校の教職員のメンバー構成の変化は、カトリック学校のあり方に影響を与える。リーダーシップの所在が変化するというイメージ。
③ clerical leadership to lay leadership / 新しいカトリック学校の権威構造authorityを、司祭・修道者(修道会)と教職員(信徒・非信徒)のコミュニケーションによって構築してゆく。リーダーシップ・コミュニティー? / 同心円的権威構造?
④まったく新しいカトリック学校の形態を創造する可能性を探る。「信徒の教会」、「基礎共同体」のイメージ?
⑤学校のリーダーシップをとる「人」、「グループ」の形成。

a)校長は、「教会の一部である信仰共同体としての学校」の霊的リーダーシップ(spiritual leadership)をとり、学校のカリキュラム全体にキリスト教的価値観を吹き込まなければならない(infuse)。信仰に関して、学校長を補佐する「グループ」も必要。
b)霊的リーダーシップの一部を学校外の教区へ委嘱することもできる。(信仰のリーダーシップfaith leadership / witnessing to one’s faith)

3.カトリック学校の刷新された根本決断の実践 -創造的自由の獲得-
(カトリック学校の健全な世俗主義 healthy secularism of Catholic schools)

(1)カトリック学校のアイデンティティの成長 -教育理念の今日化implementation-
① institutional identity → 自校の独自性への思いを深めると共に、自らの思いを表現(実践)し、他者から認められることにより、学校のアイデンティティは深められる。
②カトリック学校の「学校の雰囲気」(school atmosphere)、「学校文化」(school culture / school climate)を大切にする。それらがカトリック学校のアイデンティティを強化する。

(2)school cultureの涵養 -全教職員で「教会の所有する5つの教育手段」を利用- 1
①koinonia 様々な種類、レベル、規模の共同体作りと、相互の関係作り。相互を結び付けるものは「愛」である。様々な形の相互関係は、信頼関係を構築し友情関係を作る。このような感覚は、宗教的センスや霊性、信仰の基盤となることが期待される。
②leitourgia 祈り。祈りは神や他者、そして自分自身に対する関心である。祈りを通して、他者の必要を考え、神の意志を見出し、また自ら自身の思いに気づいたりする。特に思春期には、抽象的思考能力の発展も伴い、祈る体験を通して世界に実在する、それまで気づかなかった領域を見出してゆくことができるようになる。
③didache キリスト教の信仰について組織的に語り、教えること。「カトリック研究会」や宗教行事でなされる「説話・福音的勧告」もdidacheである。
④kerygma 聖書や神学(信仰の内容と形式)を学問的に教えること。いわゆる「宗教科」の授業はこれにあたる。たとえば、聖書のメッセージを解釈し、説明する。
⑤diakonia 奉仕活動のカリキュラム。イエス・キリストの姿に、彼らが従うことが期待される。もし生徒がキリスト教的価値観を身につけたら、彼らはそれを実践することができるだろう。宗教科の授業で学んだ知識、カトリック研究会や宗教行事で身につけた宗教性、祈りを通して神の自分への期待を知ることと他者への関心、そして生徒間や教職員との友情や信頼関係が、生徒の現実の行動につながるように。

(3)全教職員でカトリック的教育の実践に有益な心理学、教育学(pedagogy)を利用
学校は様々な目的を追求するが、もしカトリック学校であるならば、学校のカトリック的教育理念がすべての教育活動の根底にあることが望まれる。それは、生徒を養育(nurture)し、それによって彼らが「実存の意識」(霊魂の救い)を感じることができるようになることができる教育を期待することでもある。カトリック学校は生徒の「人間性」の領域まで、関わって行くことが期待されているのである。

①ハワード・ガードナーの多重知能(Multiple Intelligence)の理論 2
a)多重知能論は、伝統的な学力観を否定する。MI理論では、IQ測定に主に利用される
言語的知性と論理数学的知性に加え、空間的知性、身体運動的知性、音楽的知性、そして人格的知性と呼ばれる心的知性と対人的知性の7つの主な能力を認める。
b)多重知能論は、教職員が生徒一人ひとりをよく知ることに依拠する。
→生活の背景、長所、短所、興味、好み、不安、経験、目標などを知る必要性。
c)生徒の最新のプロフィールによって教育的決定がなされるべき。
d)真に理解することによって行動が変る。
e)教職員が想像力豊かで、生徒の多様性を認めることが必要。

②ネル・ノディングスのケアの倫理に基づく教育論 3
a)教職員が生徒を世話すること、生徒が他者やモノをケアすることを大切にする教育観の実践への招き。男性的倫理観一辺倒な世界観に女性の視点を入れる。
b)教師と生徒、生徒間で互いにケアすること、モノをケアすることを通して信頼関係を創造する。ケアすることは、相手を傷つけないこと。
c)生徒同士が互いにケアすることに価値を見出せば、次第に自分たちの生活様式は自分たちが知らない他の人たちの生活様式にどのような影響を与えているか関心を持ち、社会的次元でもケアできるようになることが期待される。
d)世話しようとする精神は学校の内在的カリキュラム(implicit curriculum)。

③ダニエル・ゴールマンの心の知能指数論 4
a)EQとは、Emotional Quotientの略称。EQは、IQ(知能指数)を補う、別の視点から人間の能力を見るための指標(数値なし)。原著のタイトルは、Emotional Intelligence。
b)前出のガードナーのいう人格的知性(心的知性と対人的知性)を重視し、特に人間の情動(emotion)を中心に人間の能力を描く。
c)自分や他人の、怒り、不安、悲しみといった感情を肯定的に消化できるか。
d)モチベーション、希望や目標保持、集中力は自己と他者に肯定的影響を与える。
e)共感できることは大切であり、そのために情動の動きは重要。各人の持つ情動の動きは、親子関係、友人関係、職場関係で他者へ影響を及ぼす(社会的知性)。
f)他者に共感することを教えることで、生徒は衝動や怒りをコントロールでき、自己認識能力や人間関係能力を高めることができる。
g)望ましい情動の動きを学ぶ場を家庭に期待できない以上、地域社会は子どもたちの情動・社会的能力の欠如を矯正する役割を学校に期待するしかない。

④ジェームズ・ファウラーの信仰発達理論5
a)社会学や心理学の視点からも信仰について理解できき、宗教教育の意義、人生における宗教の役割を理解する手がかりを得られる。
b)人間の全生涯から見た思春期における、信仰の発達状況や役割を知ることができる。
c)「回心」と言われる体験による人間の成長のプロセスや意義を知ることができる。
d)但し、キリスト教で言う「恩恵」による信仰への招きは、それが超自然であるがゆえに予期し得ない経験を人間にもたらす。

4.展望 -「預言者的選択」の一例として-

世界はポスト・モダンの時代と言われて久しい。実は、様々な境界を乗り越えて人びとと出会い、語り、教え、行なったイエス・キリストの生き方がカトリック学校の起源とすれば、彼の生き方は「当時におけるポスト・モダンな生き方」だった。
①若者は何らかの意味で疎外され「貧しい」状態にあるので彼ら、彼女らと連帯する。
②カトリック教会は、カトリック学校を通じて教育というチャレンジの緊急性に気付く。
③社会で生きてゆくための知識と、充分な人間的、人格的養成を行なう。
④ポスト・モダンの時代に生きる生徒たちに、新しい大きな物語を語ることは無理か?
*①~③は、非キリスト教国の日本においても「カトリック学校」の使命である。

以上

*このレジュメとほぼ同じ内容で文章化された記事は、2009年度の「養成塾」のHPを参照されたい(養成塾の記録 2009年度 第10回 11月21日「福音宣教する学校」)。

付 カトリック教育関連の参考文献表

【A.ローマ教皇庁が公布したカトリック学校教育関係の公文書(1927年以降)】

① 1929年 教皇ピウス11世回勅『青少年のキリスト教的教育』(邦訳、カトリック教育協議会  1957年)
② 1965年 第二バチカン公会議『キリスト教的教育に関する宣言』(邦訳、『第二バチカン公会 議公文書全集』、サンパウロ、1986年、pp.181-193)
③ 1977年 教育省『カトリック学校』(邦訳、日本カトリック学校連合会、1978年)
④ 1982年 教育省『学校に働く信徒の使命』(邦訳、日本カトリック学校連合会、1983年)
⑤ 1983年 教育省『人間愛についての指針:性教育についてのガイドライン』(邦訳、カトリック中央協議会、1988年)
⑥ 1988年 教育省The Religious Dimension of Education in a Catholic School: Guideline for
Reflection and Renewal (上智大学神学会『神学ダイジェスト』2011年夏号[no. 110]より連載で翻訳が掲載されている。)
⑦ 1997年 教育省『紀元二千年を迎えるカトリック学校』(邦訳、日本カトリック学校連合会、 1998年)
⑧ 2002年 教育省 Consecrated Persons and Their Mission in Schools
⑨ 2007年 教育省 Educating Together in Catholic Schools: A Shared Mission Between Consecrated Persons and the Lay Faithful
⑩ 2009年 教育省『教会の宣教使命に適応する学校の宗教教育』(書簡)(邦訳、カトリック中央協議会、2010年)
*上記の公文書は、すべて英文で教皇庁のHPで閲覧できる。
http://www.vatican.va/roman_curia/congregations/ccatheduc/index.htm

【B.日本のカトリック教育についての書籍】

① ハンス・ヘルベック『第二バチカン公会議と日本におけるカトリック教育』、カトリック教育協議会、1966年。
② 同上、「『キリスト教的教育に関する宣言』解説」、『光りをおびる教会』公会議解説叢書、中 央出版社、1969年、pp. 3-108。
③ ガエタノ・コンプリ『教育者へのドン・ボスコのことば』ドン・ボスコ社、1990年。(現在、 『若者を育てるドン・ボスコのことば』と改題されている。)
④ 岡道信『共にいる教育−アッシステンツァ−』ドン・ボスコ社、1996年。
⑤ 北川直利『ミッション・スクールとは何か:教会と学校の間』、岩田書院、2000年。
⑥ イエズス会教育使徒職国際委員会編、梶山義夫監訳『仕えるために−イエズス会教育の特徴−』 ドン・ドスコ社、2005年。
⑦ 佐藤八寿子『ミッション・スクール:あこがれの園』中公新書1864、2006年。
⑧ カトリック中央協議会日本カトリック学校教育委員会編『今、カトリック学校教育に求めら れていること』ドン・ボスコ社、2009年。
⑨ 森一弘、田畑邦治、M.マタタ編『教会と学校での宗教教育再考』オリエンス宗教研究 所、2009年。
⑩ 佐々木慶照『日本のカトリック学校のあゆみ』聖母の騎士社、2010年。
*個々の修道会のカトリック教育に関わる文献は、③、④、⑥以外にも多数ある。
【C.キリスト教学校懇親会公開講演会のリーフレット(いずれもドン・ドスコ社刊)】

① 山縣喜田代『女子高は時代遅れか』、2005年。
② 倉松功『カトリック学校とキリスト教学校 力を合わせて教育にはげもう』、2006年。
③ 湊昌子『今、あえてなぜ女子教育か』ドン・ドスコ社、2007年。
④ 高祖敏明『キリスト教教育の可能性−ともに学びあい未来を拓こう−』、2008年。
⑤ 西原廉太『現代に生きるキリスト教教育』、2009年。
⑥ キリスト教学校教育懇談会編『現代に活きるキリスト教教育−21世紀のキリスト教学校−』、 2009年。
⑦ キリスト教学校教育懇談会編『魅力はどこに−キリスト教学校が大切にしていること−』、 2010年。

【D.オリエンス宗教研究所『福音宣教』誌(近年のもの)】

① 河合恒男「まなびの道しるべ−カトリック学校における信仰教育−」2001年5月号〜10月号 まで5回連載。
② M. マタタ「カトリック系中・高等学校における宗教教育」2005年5月号、pp.3-14。
③ 高橋博「子どもを育てる使命」2007年5月号、pp.9-13。
④ 浦善孝「もう一つの教育システムとしてのカトリック学校」2007年12月号、pp. 12-21。
⑤ 高祖敏明「カトリック教育がめざすもの」2008年4月号、pp.3-9。
⑥ 浦善孝「カトリック学校の日常生活−救いの秘跡としての学校」2009年6月号、pp.26-32。
⑦ 田畑邦治「生きている人間に仕える教育」2010年3月号、pp. 3-8。
⑧ 星野匡邦「カトリック学校で育てられて−イエスを伝える学校−」2010年4月号、pp.3-7。
⑨ 英隆一郎「カトリック学校の未来」2010年8・9月号、pp.46-51。
⑩ 浦善孝「福音宣教する学校−カトリック学校の使命」2011年3月号、pp.30-33、4月号、pp.37-41。

【E.上智大学神学会『神学ダイジェスト』誌】

① P. H. コルヴェンバッハ、浦善孝訳「現代に挑戦するカトリック教育」、2000年夏(88号)、pp.80-86。
② ピタウ、秋葉悦子訳「キリスト教信仰とカトリック教育の四つのイコン」2001年冬(91号)、 pp.55-60。
② B. ファインがー、宮井純二訳「学校での聖書教育」、2002年冬(93号)、pp.112-123。
③ S. ミーディマ、浦善孝訳「ミッション・スクールのアイデンティティと生徒のアイデンティティの形成」、2005年冬 (99号)、pp.6-19。*99号は「ミッション・スクールと宗教教育特集」。
⑤ T. H. グルーム、田中智里訳「総合的信仰教育」、同上、pp.20-30。
⑥ F. C. ミュラー、片柳弘史、宮井加寿美訳「修道会による学校への支援(スポンサーシップ) −カトリック学校の伝統を守るために−」、同上、pp.31-50。
⑦ M. T. ハリナン、浦善孝訳「岐路に立つ米国のカトリック学校」、2007年冬(103号)、pp.40-64。 *103号は「カトリック学校特集」。
⑧ J. J. ディジャコモ、川越尚訳「カトリック学校への提言−生きた信仰への教育」、同上、 pp.64-70。
⑨ バチカン・教育省、浦善孝訳「カトリック学校における教育の宗教的次元−評価と刷新のためのガイドライン」、2011年夏号(110号)、pp.129-137。(以降、連載で掲載される。)
(神学ダイジェスト編集室 上智大学神学部 図書館内 03-3594-4349)

*この他に、カトリック教育学会の紀要『カトリック教育研究』にも、カトリック学校やカトリック教育、宗教教育に関わる研究が紹介されている。毎号、学会でのシンポジュウムに基づく特集記事も組まれている。http://wwwsoc.nii.ac.jp/nssce/index.htm

【F.米国におけるカトリック学校に関する研究書】主なもののみ

① Bryk, Anthony S., Valerie E. Lee, and Peter B. Holland. Catholic Schools and the Common Good. Cambridge: Harvard UP, 1993.
② James Youniss and John J. Convey, Catholic Schools at the Crossroads: Survival and Transformation. New York: Teachers College Press, 2000.
③ Thomas C. Hunt, Catholic Schools Still Make a Difference: Ten years of Research 1990-2000, Washington DC: National Catholic Educational Association, 2004.
④ Thomas C. Hunt, Ellis A. Joseph, and Ronald J. Nuzzi, ed, Catholic Schools in the United States; An Encyclopedia (2 volumes) Westport, CT, Greenwood Press, 2004.

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東星学園小・中・高等学校長  加勇田修士先生 

 まず最初に「キャリアアンカー」ということばを紹介したいと思います。
 「自分に神から与えられた使命」という意味で、カウンセリングでは人生をつなぎ止めるいかりのことを意味します、これが必ず一人一人にあると思っています。
 この言葉は、進路相談のときに子どもにエネルギーをあたえ、とくに立ちすくんでいるときにスタートするきっかけをあたえる言葉だと思っています。
 私は、もともとは水産高校で海の指導からはじめた11年間が最初で、物理の教師として10年間、都立高校で専任のカウンセラーをしていた12年間の教員生活をしてきました。公立につごう33年間勤務したことになります。
 それが、知り合いの神父にすすめられて校長になり、その使命を受け入れて、4つ目のキャリアとなりました。
 仕事が変わるときに捨てられないというなにか、それが「キャリアアンカー」なのですね。NHKの「プロジェクトX」にみられるような研究開発者魂、会社を経営するというマネジメント、安定した生活をおくるという安定志向、人を喜ばせるということなどの変化に富んだ仕事、おまわりさんとかのようにバッチをつけること、ものづくりなどの創造精神、盲導犬の訓練士とかのように自分のこだわりに生きる、などなどこのキャリアアンカーには8種類あってすべての仕事の中にその何種類かが含まれています。たとえば、校長という仕事の中にはマネージメント、プロジェクト、人とかかわるという3つのアンカーが含まれていますが、東星学園の校長になって9年目の私の場合、次の仕事に変わるときに捨てられずに残るアンカーは「人とかかわる」だと思います。つまり、この年になって私を人生(キャリア)につなぎ止めるアンカーは「人とかかわる」ということがはっきりしてきました。
 本校はパリミッションのフロジャク神父によって創立されました。かれは結核患者の面倒をみるということからはじめて、ベタニア修道女会をつくりました。その後、医療、福祉、教育にミッションが発展していきました。だから、この学校の特徴として、同じ敷地の中に同じ創立者の下に創立者の理念を受け継いだ病院、児童養護施設、老人ホーム、幼稚園、学校があるのです。
 学校ではキリストの愛の精神に基づいた人格の形成を目標にしています。
 この目標はカトリック学校はどこも同じでしょう。この学校がその理念をどう活かしているかは、この立地条件に大きく関わっています。養護施設の子は無試験で受け入れるとか、准看護婦を養成するために衛生看護科がもうけられていたとかの福祉的な理想をもっているところに特徴がありました。
 私が校長としてこの学校に赴任してきたときは、生徒数の減少が著しく、学校の立て直しが急務の時でした。そのころは、衛生看護科の廃止で普通科だけの女子校となっていました。したがってまず校長として着手したことは「共学化」ということでした。
 でもいきなり上からの指示で「共学化」はしませんでした。2002年に着任して5年間話し合いを積み重ねました。お互いに話し合って自分達で決めたことでなければなかなかモチベーションが上がりません。
 そのために、会議の進め方の研修を提案したりしました。幼稚園、小、中、高は運命共同体みたいなものですから、最終的には合同職員会議で決めました。採決をして1票差できまりました。
 共学にふさわしい理念を4つ目標にもうけました。これも教職員全体で決めたことです。
 それまでの女子校としての中高の教育目標は「美しい人(誠ある人、優しい人、賢い人)」というものでしたが、共学化に伴ってそれを次のような4つの目標に変えました。
誠実な人
努力する人
自立した人
奉仕の精神を持つ人
それぞれに聖書の意味づけを行いました。聖書を目標ごとに読み込んでこの内容をつくりました。

「誠実な人」というのは神様に愛されているかけがえのない存在ということに感謝して誠実に生きるということで宗教教育の目標です。宗教の授業はもとより毎週の聖書朝礼の時間などがこの目標達成に直接関わります。校長は週1回、聖書の話しをすることになっているのですが、素人のわたしとしてはそれが辛かったです。でもふりかえると聖書の話しをするために聖書を深く勉強できたように思います。
「努力する人」 それぞれに与えられた使命の実現のための学習に努力し、そのために進路実績をあげることにも力をいれました。これが実現しないと募集効果も上がりません。受験校としてではなく、結果として進学実績上位校になることを目指しました。
「自立した人」という目標で今強調していることは、人間関係能力を身につけるということです。聞く力、話す力、問題解決能力、トマス・ゴードンの「私メッセージ」をベースにしたこの3つがないと現代という難しい時代を生きていけません。
 最後の「奉仕の精神」はカトリック学校では一番大事な目標かもしれません。人間の生き方には二つあります。人に仕える生き方と人を利用する生き方です。カトリック学校ではもちろん前者の生き方を生きがいと感じる人を育てることです。そのために体験学習の場として同じ敷地に病院、養護施設や老人ホームがあることは恵まれています。
 昼休みのあとの1時から20分間、沈黙の掃除の時間が設けられています。管理職の先生の短い話しで始まり中1から高3までの縦割りの交流をしながら黙って掃除をします。6年間の交流の機会は、学年を越えたつながりをつくり、学校はピカピカになり、奉仕の精神が身につきます。

 職員の研修として年に一度の黙想を大事にしています。今日も職員黙想会をしてきました。
 もうひとつ、校内研修として教育カウンセリングの研修を取り入れています。
 「教師はモデルにならなければならない」。教師の具体的なスキルとして、カウンセリングのこころを取り入れています。カウンセリングは生徒指導と同じだと思っております。
 わたしの指導と先生の指導が違ったこともありました。
 6年生の修学旅行には一日目にお金を預けることになっているのですが、ある児童が自動販売機でコーラを買ったのです。体育の先生が「こらっ」とユーメッセージで叱るとその児童は自動販売機をけっとばしただけだと言い訳をして。指導を受け入れないのです。彼はそんなことしていないとずーっと言い張りました。予選、準決勝(担任)と指導がうまくいかず校長が介入(決勝)することになりました。
 カウンセリングの心を知っている私は、生徒指導のしかたがその体育の教員とは違っていました。この場合「わたしメッセージ」の方が効果があると知っています。
 「あ、そう。自動販売機が壊れたかもしれない、支配人に謝ってあげよう。」といいました。これを「ワンネス」といいます。相手の世界を相手の目で見るかかわりです。
 次に大事なことは信頼関係をつくることです。「ウィネス」のかかわり、私はあなたの味方だよという関係をつくります。
 「修理代がかかるよね。 おとうさんに連絡をする必要があるよね。じゃあ、お父さんに電話してあげよう。」
 いままでの指導と正反対のアプローチをしました。
 そうしたら、父子家庭の児童だったのですね。そのあと、夕食はいつもひとりで「ホカベン」を食べているという話を聴いて「さみしいね」といったら涙をこぼしました。さらに「最初に『けっとばした』と言ってしまったので途中から本当のことを言えなくなったの」といったら、「うん」といったのです。こうしてその児童は反省モードに入ったのですね。この最後の切り込みを「アイネス」と言います。
 このようなメソッドは「教師学」といわれています。そのメソッドを開発した人の名前を取ってトマス・ゴードン・メソッドともいいます。「ワンネス、ウィネス、アイネス」はムスターカスの実存主義的なカウンセリング方法です。
 これには、子どもとの関わりをつくること、聞く姿勢をもつこと、そしてわたしメッセージで話すことなどが強調されています。それを研修をすることによって身につけていくとそれが「自分自身がモデルになる」ということです。
 またそれは子ども同士の人間関係をつくるためにも役立ちます。学年のはじめに構成的グループエンカウンターをとりいれてクラスづくりをします。こういうことをとおして人を大切にするためのスキルをみにつけ、問題の起きない学級作りをめざします。カウンセリングは問題が起きたときのスキルと思われていますが、それだけでなく実は問題を起こさないための理論・スキルを身につけることの方が大切だと思っています。
 もう一つ大事にしているのは、先生方が孤立しないシステムをつくることです。
 時間割の中に週1回関係職員が集まる定例の校内委員会を設けています。生徒指導の問題やカウンセリングが必要なケースは、校内委員会で取り上げられます。そこには管理職、カウンセラー、養護教諭、関係の担任などが一堂に会して検討します。前のお話しのあった聖園の連絡協議会みたいなものだと思います。
 校長としての私の役割はその場でのスーパーバイザーだと思っています。これによって、問題が起きても深刻になる前の早いうちに解決できる態勢ができました。

質問
−「わたしメッセージ」とは?
これはカウンセラーとしての習慣です。私メッセージの三部構成といって、事実・できごと、影響そして気持ちをセットにして子どもに関わるということです。事実を共有することは相手を尊重するということでもあります。
「あなたメッセージ」はこうしなさいとかあなたのここがわるいとかいう相手への批判、問責、説教になってしまい、わたしの気持ちは出さないでその場限りで終わりやすいのです。わたしは生徒と接する場合には「あなたメッセージ」はできるだけ少なく、「わたしメッセージ」を多くするようにと先生がたにすすめています。
−教師学というのは?
トーマス・ゴードンという人が書いています。このひとは「親業」についても書いていて、いわばその教師版ですね。
−先生方が孤立しないシステムをつくるためにということでどういうことをされていますか
 まず、わからないことはきやすく聞きにこれるという開放的な雰囲気をつくるようにしました。そしてスムーズなコミュニケーションのとりかたを研修しました。講義を聞くだけの研修ではなく、関わりを築くための構成的グループエンカウンター(略称SGE)のワークショップも行いました。
 そこで強調したことですが、自分の振り返りのためにも用いている考え方を一つ紹介しましょう。「ジョハリの窓」といわれるものです。
 人は4つの窓をもっています。縦軸の左右で自分が知っているかどうか、横軸の上下で他人が知っているかどうかを設定すると4つの自分に分けられます。
 つまり、自分が知っていて他人も知っている開かれた自分のまど。次が自分は知らないが他人は知っている自己盲点のまど、自分が知っていて他人が知らない秘密のまど、そして自分も他人も知らない未知のまどです。
 自分が隠している秘密のまどが多いと不自由で、ホンネが出せないでしょう。これは生徒の前にどれだけ自己開示しているかということとつながります。
 自己盲点のまど、未知のまどは自己発見のためにすることです。
 この「ジョハリの窓」は教師としての自分のふりかえりのために役立ちました。
 自分の思考パターン、おもいこみ、感じ方、行動パターンを知るためには、仲間からのフィードバックを聞かないとできないものです。ホンネの交流ができる自分になりたい、そのためにどうしたらいいかを考えるときに多くのヒントを与えてくれました。
 職員同士ができないと子どももできないものです。
 おかげで、本校では職員としての交流をよくやっているとおもいます。毎年2泊3日の  慈生会グループのSGE研修会では、非日常のなかで仲間の力を借りて、新しい自分の発見をします。学校、老人ホーム、病院、児童養護施設の職員と同じ釜の飯を食べながら研修することによって深い絆で結ばれるという効果が生まれています。

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聖園女学院中学高等学校  平野俊介 

 聖園女学院の平野です。養成塾より依頼されました、本校の「建学の精神」を、理事会中の校長に代わって、塾生の皆さまに紹介させていただきます。限られた時間ですので、別冊「聖園女学院中学校高等学校 建学の精神と取り組み」に、本校の想いと取り組みの一端をまとめました。あわせて参考にしていただけましたら幸いです。
本日は、本校の建学の精神がどのようにして形成され、現在いかにして具体化されているか、「聖園の空気」をキーワードに紹介いたします。

 本校の名称は、聖なる園と書いて「みその」女学院と読みます。読みにくのですが、一度覚えたら、忘れない学校名です。
設立母体は「聖園(みこころ)の布教姉妹会 Congregatio Sororum Missinariarum Cordis Jesu」です。1920年に、日本の秋田で、ヨゼフ・ライネルス新潟教区長によって、愛を人々に告げ知らせることを使命に、創立されました。その後、藤沢に本部を移しました。現在でも、「喜んでする奉仕」「キリストと共に十字架に」をモットーとしてカテキスタ、教育、社会福祉などの主な使徒職を果たすために、約190名のシスターが北は砂川から南は沖永良部島まで、全国に派遣されています。その一環として、聖園女学院があり、理事長をはじめ、多くのシスターがたに支えられています。ここに、「聖園の空気」の原点があります。
 聖園女学院は、富士山と江ノ島を望む、湘南の高台にあります。1946年に藤沢に設立され、多くのシスターがたの苦労で積み上げられてきた学校です。1976年に中高一貫システムを導入し、今年、60回目の卒業生を送り出すところです。これまでに、約77000人の聖園生が、創立以来の精神を胸に、活躍中です。彼女たちこそ、「聖園の空気」を纏った具現者です。
 現在(2010.11.1現在)、聖園では、一学年約120名、全校で744名の生徒が学び、日々成長しています。入学当初は、一クラス30人の4クラスでスタートし、中2から一クラス40人の3クラスとなります。高校生になると、クラスの枠を超えて学年120人の団体へと昇華し、集団としての質を高めていく仕組みを採用しています。毎年6月に行われる球技大会の応援合戦では、高校3年生が、集団としての質の高さを後輩たちに実演し、生徒たちの間でも、伝統として受け継いでいることがわかります。全校生徒744名のうち信者は44名います。6年間、聖園で学んで卒業したのち、信者になるケースも多くあります。「聖園の空気」は集団として高まる質とともに熟していくのです。
 この生徒たちの学びと成長を、校長をはじめ73名の教職員が、黒衣に徹して支えさせていただいております。幸いなことに、校長もシスターです。全国のカトリック校の校長から神父やシスターが退いていると伺っておりますが、やはり、シスターの存在感は、生徒たちにとって、理屈や論理を超えて、とても大きなものです。現在、教職員73名のうちシスター8名を含めて15名が信者です。「聖園の空気」を、伝統と将来の観点から常に検証しています。

 「聖園の空気」の柱、すなわち建学の精神として「イエスの聖心(みこころ)の愛を伝える教育」を掲げています。これを具現化し、検証できるように体系化したものが、別冊の2ページにあります、教育体系図です。

 では、「聖園の空気」の柱である“イエスの聖心の愛”を、どのような取り組みに溶け込ませているか、ご紹介します。
大きな行事としては、ミサとクリスマスタブロが挙げられます。ミサは年5回あり、生徒たちは卒業までに、6年間で30回あずかることになります。クリスマスタブロという無言劇は、年1回ですが、全学年が合唱として参加し、一般の方々にも公開しております。ミサやタブロは、イエスの聖心の愛に触れる大切な機会で、カトリック校として最も大切にしているものです。
 日々の取り組みとしては、中高別に週2回ずつ行われる講堂朝礼と聖署朝礼、宗教の授業や黙想があります。講堂朝礼では“イエスの聖心の愛”を、校長が英語を交えて生徒たちに語りかけ、聖歌と祈りが生徒たちの心に行き渡らせます。6年間で300回前後かける取り組みです。聖署朝礼は隔週で中高別に、生徒たちが執り行います。新約聖書の朗読を通して“イエスの聖心の愛”に触れます。宗教の授業は全学年週1回あり、特に高校3年生の宗教は、校長自ら教壇に立ちます。生徒たちとの双方向のやり取りで、“イエスの聖心の愛”が、生徒たちの中に、大きな礎として育まれています。そのひとつの現われとして、別冊の4ページに、生徒の感想を掲載させていただきました。
 行事や日々の取り組みに加えて、希望する生徒には、錬成会やロザリオの祈り、各種ボランティアがあります。錬成会は、神父様の導きでキリスト教について理解を広げ、「命」や「使命」について考えを深めていきます。ロザリオの祈りは年に2回、本校にある小聖堂で行われます。中学生の小羊会と高校生のセシリア会を中心に祈りを捧げます。
 ボランティアとしては、本校に隣接する、聖園子どもの家でのボランティアをはじめ、地域清掃、路上生活者支援活動などを行います。
 このような取り組みを通じて、生徒たちは“イエスの聖心の愛”に触れ、「聖園の空気」を纏っていきます。本校の教育の柱は、こうして、生徒たちの間に行き渡り、この土台の上に、さまざまな活動が展開されるのです。

 こうした「聖園の空気」の熟成には、保護者の方々にも参加いただいております。聖書研究会は毎週火曜日から金曜日に実施され、土曜日も父親対象・母親対象で実施しています。希望される保護者の方々に、神父様やシスターがたと一緒に“イエスの聖心の愛”に触れています。テレサ会では、希望する保護者で、生徒とともに聖園子どもの家でのボランティア活動に参加しています。マリア会では、卒業生の保護者が聖書の勉強会やボランティア活動を行っています。
 このように、保護者の方々にも“イエスの聖心の愛”に触れて、「聖園の空気」づくりに参加いただいております。

 他方、「聖園の空気」づくりに教職員はどう取り組んでいるのでしょうか。ここ数年、大規模に執り行っていることは、校長および宗教部が中心となって進められている研修会・研究会・黙想会です。
 全教職員参加による研修会は、神父様の講話を通じて“イエスの聖心の愛”に触れ、現状の「聖園の空気」を検証します。そして、中長期的な「聖園女学院のビジョン・ミッション」を策定し、各自の取り組みに反映させていきます。希望者による研究会では、聖書を通じて“イエスの聖心の愛”に触れ、「聖園の空気」を別視点から検証します。今年度は旧約聖書のヨブ記から多くを学んでいます。黙想会も希望者で与かります。神父様の導きで、“イエスの聖心の愛”に触れ、自らが「聖園の空気」を纏えるよう、分かち合いも行っています。この養成塾も、教職員の学びの機会として大切にさせていただいております。
 こうした教職員の研修会・研究会・黙想会が、各種指導において、どのように溶け込んでいるか、紹介いたします。

1.宗教教育においては、「本物のあなたでありなさい」という価値観です。他から作られた価値観で動くのではなく、神に愛されている存在としての自分の信念を持って生きる、本物の自分であることを意識します。これは、宗教の授業での教育(宗教科教育)はもちろんのこと、全教職員が、全活動において行うものです。
2.生徒指導においては、生徒指導連絡会などを中心に、全教職員で生徒たちに向き合うことを意図しています。生徒たち一人一人が、本物の自分であるために、彼女たちの心に寄り添う姿勢を大事にしています。これも、担任や生徒指導部はもちろんのこと、全教職員が全活動で行うものです。
3.進路指導においては、本物の自分の生き方を育むために、中学1年生から、自分の存在、自分に与えられた使命を意識し、それをもとに学問の姿勢を身につけ、将来の設計を行うという生き方の指導です。大学受験は、その生き方を育む大切な機会です。
そこで長い人生の糧を修得できるように指導します。これも、教科担当や進路指導部はもちろんのこと、全教職員が全活動で行うものです。
4.ガリラヤ
 本校には「ガリラヤ」「エマオ」と名付けられた部屋があります。一人一人の居場所をもとめ、本物の自分に立ちかえるための部屋です。特に学業や生き方の問題でつまづいてしまう生徒のために、専任のシスターと一緒に、自分の存在を確認する場になっています。
5.聖パウロ学院の協力校であること
 高校のシステムは、単位取得が進級・卒業の基準となります。さまざまな事情で単位を取得できない生徒が、聖園で聖パウロ学園の通信講座を学べるようにするシステムです。聖園の制服を着て、聖園に通い、聖園の教室で聖園の先生からスクーリングを受け、聖園の行事にも参加できるようにしました。ひとりひとりの生徒とのつながりを大切にするために、このようなシステムによってどうにか高校卒業まで面倒をみるようにしています。現在5名がこのシステムを利用しています。

 このように、教職員は研修会・研究会・黙想会をつうじて検証・確認したことを、教育活動のなかで実践していきます。教職員が一丸となって「聖園の空気」熟成にかかわるためにも、この数年、研修や研究を重ねています

「聖園の空気」をキーワードに展開してきました。核であり柱でありすべてでもある“イエスの聖心の愛”を、聖心(みこころ)の布教姉妹会を母体に、聖園女学院の教職員、保護者、生徒が一丸となって熟成させていく。それが「聖園(みその)」です。ここでは語りつくせぬものですので、ぜひ、本校にいらしてください。こころからお待ち申し上げております。

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静岡聖光学院中学高等学校教育顧問 福本良雄先生  

私は、カトリックでない私学の校長を8年ほどして、さらに12年間カトリック学校の校長を12年間つとめてきました。もとの勤務先の北海道から静岡にかえってきて、カトリック精神を教員が生徒にどう伝えるかを教員の養成のために教えてほしいと教育顧問を仰せつかりました。教科として中1、中2の倫理を教えています。
カトリック精神つまり、建学の精神の継承のためには、まずカトリック教育の多様性を考える必要があるでしょう。それは建学の精神をになってきた修道会のカリスマ、特性を考えることであり、イエス・キリストが教えた精神を教育の中でどう具現化していくかということでもあります。
しかし、カトリック精神の担い手としての司祭や修道者が減ってきたという現実があります。それは一生を教育にささげた先輩たちがへっていくということです。
また、現代の若者たちの中にカトリックの組織や規律が合わないのではないかという危惧もあります。
その担い手をどう養っていくかというのは大きな悩みといえるでしょう。

私の奉職している静岡聖光学院は横浜聖光学院の兄弟校です。静岡県には45の私学がありますが、そのうち5校がカトリック校で、本校が唯一の男子校です。
静岡は保守的なところで、公立優先の風潮の強いところです。そんななかで雙葉、聖心、サレジオ(旧星美、現在は共学)の女子校がはじめにつくられました。そのあと男子校が地元からの期待と援助によってキリスト教教育修道士会に委託されて創設されました。
いまから40年前にロバート・ピエールを初めとする修道士が来られました。日本人の修道士が二人おりました。創設に加わった修道士たちのなかのひとりが現校長レイモンド・ヅシャールムです。それから多くの卒業生が地元で活躍するようになりました。

建学の精神は、カトリックの世界観に基づく人類普遍の価値を尊重する人格の育成、あわせて高尚かつ有能な社会の成員を育成することにあります。
それを具現化した言葉として「アカデミックな教育」「ジェントルマンを育てる」という二つの言葉を標榜しています。
「アカデミックな教育」とは知を愛し、至る所でアカデミックを追求するそういう教育です。
その一つとして、三層三段階教育という特徴を示しています。2年ごとに、基礎学習期、研究学習期、進路学習期という3層に分け、学習の段階をメインにして教育のシステムを組んでいく。授業が高い学問に対する興味関心を呼び起こすように、科学や歴史の自由研究を大事にして、アカデミックな学校の雰囲気をつくろうとしています。
もう一つは、カトリック教育ということです。イエス・キリストの教えを生きることが精神であり柱であります、そこが他の私学と異なるところです。その使命を絶対なくしてはいけないと思っています。
具体的には「カトリック倫理」の授業を週1時間ずつ確保しています。基礎的な人間の生き方を1年2年で教え、中3、高1、高2では「倫理社会」とあわせてカトリックの世界観と思想を世界全体の思想の中での位置づけまがら教えています。最後の学年は校長が「世の光地の塩」として生きるということを特別なカリキュラムで担当しています。
また、聖書研究会を各学年に週1時間おき、信徒の教員が担当しています。生徒は自由参加です。550人の生徒のうち80名が参加しています。退職した信徒の教員が担当している学年もあります。
また年に1回集まって聖書研究大会もしています。新しい教員も生徒と一緒にみことばの祭儀に参加するようになりました。
生徒のためのミサを月1回、学校のチャペルで行います。これも自由参加です。
クリスマスには奉仕作業をする 道路の清掃、老人ホームの訪問で習ったことを実践すします。
これらを計画担当するのは修道士2名と信徒教員8名です。校務分掌の中に宗教部があり、カトリックの行事に関する全ての計画準備を担当しています。信徒であってもなくてもサポートする態勢があります。
宗教の授業は二人の信徒の教員が担当しています。中1中2のために、カリキュラムもつくり「人間として生きる道」という教科書もつくりました。
またカトリック精神の継承のために教育顧問という制度があるのも本学院の特徴でしょう。カトリック精神をどう伝えるかについて、宗教部と連絡をしながら、カトリック教育の話しを新任教員にするのも教育顧問の仕事です。ここで、カトリック教育、聖光生の求める人間像や修道会の宣教使命ということについても共に考えます。漫然とするのではなくしっかりとしたカリキュラムを組んですることを心しています。忙しくてこられない先生には必ず補習をします。3年間きちんとカトリック精神とは何かということを一定のカリキュラムで行っています。
その他に生徒指導などで悩んでいる教員の相談にのっています。信徒の教員が力をあわせてカトリックの精神を受け継いで発展して行けるように力を尽くしています。
生徒の雰囲気は明るくのびのびしています。先生がたとの信頼関係もあると思います。人間的ふれあいの豊かな学校だと思っています。生徒はこの学校で学ぶことを誇りにしています。
いままではなんとなく大学に入ればいいと思っていたが、これからは質の高い大学を目指すように努力していきたいと思っております。

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暁星小学校校長  佐藤正吉先生 

養成塾には私の学校から一人の教員が参加しています。養成塾のあと校長室にきて情熱的に語ってくれます。短くても40分、長いときは1時間半ほど塾での体験を語ってくれるので私も大いに学んでいます。

私は3年前に本校の校長となりましたが、それまでは公立の小学校の校長でした。最近は私のように公立の学校からきた校長も増えてきました。
東京には1330の公立小学校があります。公立の学校は地名を学校の名前にするのがほとんどですが、公立は地区の子供達の教育をあずかるから、地名が校名になるのでしょう。古い学校には論語の名前からとった学校がありますけれど数えるほどしかありません。たとえば新宿区の愛日小学校、豊島区の仰高小学校というのがありますが、これらは中国の古典から名前を取っています。
また、公立では創立記念日ではなく開校記念日です。私学は「創立」で、これは重い意味を持っていると気がつきました。

私の学校でも玄関ホールに120余年の学校の歴史の年表がはってあり、子どもたちは毎日その前をとおっていて、本校の歴史と目指すものを意識するこになります。
そういう意味では、建学の精神は私学のいのちだと思っています。そのいのちがカトリックミッションスクールを支えています。

朝礼も祈りから始まります。「神を愛し、人を愛する」キリストの生き方を自分の生き方としようというカトリック学校の精神を、わたしも児童や保護者に折に触れてそれはどういうことなのかを話しています。「学校案内」にも、建学の精神や教育理念などをはっきりと明示しています。
「建学の精神の重さ」について話していこうと思います。ここにはカトリックミッションスクールとしての共通するものが多いと思います。

私の学校は、マリア会のシャミナード神父様がフランス革命の20年あとの1817年に設立しました。革命時の厳しい時代に出来上がった修道会です。2011年つまり来年が創立者の生誕250周年にあたり、シャミナード神父様が創立したその思いはなにか、あらためて学びたいと思っています。
そして1888年ヘンリック神父様たち5名がマリア会の暁星学園を創立しました。学園の母胎であるマリア会という修道会をどうつくったのかということが、現在の学校とのつながりがあると思います。
たとえば、「賢明な時代への適応」というのがマリア会の教育方針にあげられていますが、これは「新時代には新戦術を」という設立時の方針からきています。こういう合理的な側面をもっておられたシャミナード神父様が修道会の創立者でした。教育目標の社会性の育成ということとつながっています。これが現在の学校の中ではどういうふうに具体化しているのか、そこが問われています。

「カトリックの精神にもとづき、均斉ある人格を養成する」というのは「マリア会教育綱領」にかかれていることです。これは昭和38年に出版され「日本マリア会学校教育綱領」という本で示されています。
ここに「十全な人格の形成を目指す」と書かれています。「困苦や欠乏を耐え、進んで鍛錬の道を選ぶ気力のある少年以外はこの門を潜ってはならない」と本校の玄関に書かれているのですが、保護者の方々はこの言葉が好きですと言われます。「厳しさ」を求めているのですね。
現代は「厳しさ」を家庭に求めるのが難しい時代かもしれません。家庭は愛に結ばれているということなのでしょうが、実は厳しく育てるということは愛されていると感じてないとできないことなのです。マリア会学校の教育方針の特徴は「家庭的雰囲気」にあります。
「家庭的雰囲気」とはどういうものか、一番小さな素顔のままの生活でお互いを認め合い、励まし合うよりどころになっているところにうまれてきます。しかしそれだけではない、しつけることの厳しさも「家庭的雰囲気」には必要なのです。
本校では担任や教科を教えている先生だけでなく、学校にいる全ての教職員が一人の生徒に関わるという姿勢を先生方に求めています。家で我が子を叱るのと同じことです。
よく考えなさいという意味での正座をよく生徒にさせますが、これは自分の指導の中でこの「家庭的雰囲気」をどう表しているのか、先生方と児童の具体的な表れの一つだと思っています。

「建学の精神」を考えるとき、わたしは123年前の昔の築地明石町で開校したあのときの精神を想像します。それは、今どうなっているのだろうかと考えさせられます。
実は築地の創立の地に碑をたてる予定があります。外国人居留地のなかの学校としてつくられたのですが、それをどういう思いで始めたのか、子どもたちにも教員たちにも知って欲しいし、ヘンリック神父から学ぶことが学校のバックボーンになるのではないかと思います。

「建学の精神」が今それぞれの学校の中でどういう形で生きているのかをもう一回問い直して見たいし、見直してみる、振り返って見ることがとても大事ではないでしょうか。
今子どもたちにどう指導されているのか、それを建学の理念、精神とのかかわりでもって見直したいと思っています。学校運営方針を毎年年度初めに校長が明らかにすることにしていますが、これを建学の精神とからめて話します。そして学級経営欄に建学の精神との関係で指導の重点を書いてもらいます。
毎年、学級目標を定めて一覧にして、それを印刷して全員に配ることをしています。それによって自分以外の他の担任はどう具体化しているかをみて、自分のを見直す機会としています。
それぞれの学校の校訓が言葉としてだけでなく、どういう形で行われているのかをいつも振り返るようにすることが大切です。

来年から新学習指導要領が全面実施となりますが、その中で「道徳」に人間の力を超えた崇高なものに対する見方が強調されているところに注目しています。
教科のなかに道徳との関連を考えさせるよう「学習指導要領」にも書かれるようになりました。それをカトリック学校として考えると、それぞれの教科の中に建学の精神がどう表されているということになります。

<質問>
 −公立の学校から伝統ある古い学校にきて何を感じられましたか? そしてこれをどういうふうに改革しようとしているのかをお聞きしたいです。
<答え>
 公立の学校の最後は麻布小学校でした。古さという点では暁星より古い学校ですね。
 教員は公立の学校では6年で代わってしまうのですが、私立は退職までいます。ここがもっとも大きな違いかもしれません。
 そういう中で、力を入れていることは、情報を出すということです。職員朝会、職員会議などで話しをする機会はもとより、職員室でいろいろな先生に声をかけることに勤めています。
 ここには後から入ったものの強みがあります。この学校ではどういうふうにやってきたのかを教えてほしいということと世の中はこういうふうになっているということを知ってほしいのですね。
 たとえば先日中学生がホームレスに熱湯をあびせたという事件がありました。これは公立学校のこととせず、「本校の登下校はどうなっているのでしょうか」というように、本校の様子を振り返ってほしいと思う材料として取り上げることも大切なことだと思っています。大上段からの「改革」という構えではなく、自分の日々に写ったことを先生方に言うことで働きかけの第一歩が始まると考えます。

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函嶺白百合学園中学高等学校校長  Sr.深水洋子先生 

お手元のパンフレットのひとつは毎年姉妹校全体でつくられているものです。白百合学園は全国に7つの中学高等学校、2つの大学を持っていますが、そのパンフレットのいちばん後ろに白百合学園のはじまりがかかれています。
それはシャルトル聖パウロ修道女会からはじまっています。1696年にフランスで、ルイ王朝の時代に無学で貧困と苦しみにある貧しい子供たちの教育のために、司祭ルイ_ショウベー師が、村の子供達の教育を手伝ってくれる娘たちの協力を求め、申し出た娘たちが共同生活をはじめたところから、シャルトル聖パウロ修道女会がはじまりました。
農家を修復した質素な住まいで、昼は子どもたちの教育や病人の介助の仕事にたずさわり、夜は自らの暮らしを支えるための編み物などの手仕事に励みながらのはじまりでした。
創立者たちの何人かはその労苦のために病気になりいのちをささげることになるのですが、「一つの麦が地に落ちて死ねば多くの実を結ぶ」と聖書にあるとおり、学校の姉妹たちの営みに、評判が広まっていきました。シャルトルから要請を受けて学校をつくるようになって、シャルトルの「愛徳のスール」というように呼ばれるようになり、本部が置かれていました。
1727年南アメリカの仏領ギアナの病院への姉妹たちを派遣し、そこから全世界へのミッションが派遣されるようになりました。日本において1878年(明治11年)3人のマスールが函館におりたちました。函館五稜郭戦争の影響で、貧しい子供たちもおおく、授産所、施療院、養護施設を開設して福祉活動に従事するようになりました。さらに学校が開設され、北海道の女子教育の先駆的役割を担うことになります。
しかし、函館は火事が多いところ、明治40年の函館大火で労苦の結晶が失われました。その後も何度も火事にあって、一時は撤収を考えたくらいですが、市民の要請のもとに再建されています。「校舎は焼けても白百合の精神はなくならない」と言われていました。
函館の次が東京、盛岡、仙台、八代までが100周年を迎えました。湘南白百合は来年(平成23年)75周年、函嶺白百合は60年を迎えました。
聖書をもとに時代や地域を越えて普遍的に「良き知らせ」を人々に伝えるという宣教の目的のために、ひとりひとりが神に愛されている大切な自分であることに気づき、人類社会に奉仕ができる人間の育成をめざして教育活動に従事してきました。
女子教育をとおして女性本来の母性の役割を最大限に発揮できる女性になることをめざし、思いやり、いのちの尊さ、相手への気配りを持つ女性、癒しの心をもち、人に、社会に「奉仕する」ことのできる女性を育てたいと思っております。

校訓は「従順、勤勉、愛徳」 という3本柱に、「かけがえのない命を生きるための宗教性」と「開かれて生きるための世界性」を加えて、その目指すべき人間像を「18歳の姿」の中に描かれています。これは姉妹校すべて共通です。
この「18歳の姿」は、全国の姉妹校から毎年夏に集まって研修会をしている、その姉妹校研修会で作ったものです。少し前のことなので、現代に合わせて再検討の必要があります。校訓のなかの「従順」は、現代には少し古いように思われるかもしれませんが、「真の自由にいきる喜び」、「真理はあなたを自由にする」という聖書の言葉によります。
「勤勉」は能力を磨き、可能性に努力して他の人に力を役立てていくことが目標です。
「愛徳」 互いに大切にしあう喜び、自分だけではなくあの人も神に愛されているということを理解して愛することができるようになることです。
それを世界の人々と自然との関わりを大切にしながら実行していくというのが、姉妹校共通の目標です。

ここで、函嶺白百合学園の特徴を紹介しましょう。
学校は箱根の山の強羅というところにあります。小田原から湯本までは小田急、そこからさらに登山電車に乗って終点で、国立公園の観光地の中にある学校です。
はじまりは1944年東京の白百合学園小学校の疎開学校として出発しました。そのあと1949年に独立して発足、幼稚園、小学校、中学校、高校の一貫校となりました。幼稚園はその後閉鎖されましたが、他の姉妹校とは違い、少人数の静かなたたずまいの家族的雰囲気のなかに学校があります。小学校は1クラス、中高は2クラスです。創立60周年を迎えました。
創立者スール山本ウメは一流の国際人を育成したい、「国や人種を超えて愛しあうことのできるひと」、「自己の才能を伸ばす努力を怠らないひと、」「互いの違いを認め合うことのできるひと」を大切にして社会に世界に活躍できる女性を目指すことを特に意図していました。美しい自然の中で健やかに感性ゆたかに育ってほしいと思っています。
小さな学校で、心の教育を大切にし、祈りで始まり祈りで終わる学校生活です。
自分の大切さ、他の人の大切さ、そしていのちの大切さを知らせていきます。
それは相手を大切にするマナーとして表れます。挨拶ひとつでも気持ちよくすることは相手を大切にすることの表れでしょう。大学に入って、きれいな挨拶ができることの気持ちの良さをあらためて喜ばれた卒業生たちです。
世界各国30数カ国に姉妹校があり、国際交流を企画しています。5月にはフィリピンにおいて、アジア地区のフイリッピン、ベトナム、韓国、オーストラリア、インドネシア、日本など 100人近くの教員交流の場があります。 韓国やフィリピンから生徒を受け入れて姉妹校交流も実施しています。函嶺はまだそこまでいっていないのですが、オーストラリアの学校と交流をしているところです。

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福山暁の星女子中学・高等学校 石部豪清先生

いちばん遠くから参加しています。カトリック学校の集まりは居心地がいいですね。他の私立学校の研修会は腹の探り合いみたいな感じがありますが、カトリック校とだと学校は違っても本質的には変わりないと感じられるからでしょうか、ほっとして安心できます。本校の課題と問題点をありのままにご紹介します。

1.学校の沿革と概略

1946年10月20日が本校の創立記念日です。この日は、フランスにある援助マリア修道会の創始者マリー・テレーズ・ド・スビランの列福式があり、イエズス会のラサール神父様が援助マリア会に日本にシスターを派遣することを要請され、ときの援助マリア会総長エリーズがそれを受け入れた日です。

翌1947年にアメリカ経由で修道女たちが来日、福山に到着して学校の設立を決定しました。1949年52名で第1回の入学式をおこない中学校が出発しました。その後、高等学校、幼稚園、小学校をつくり、1998年創立50周年を迎えて、今年で62年目になります。

中高は女子校、幼稚園と小学校は男女共学です。約60年の間に1万人近い卒業生を出しました。現在の募集定員は120名。中学校307名、高校411名の学校です。シスターは校長以下4名が働いています。教職員は約90名、信者の教員は3名です。

週5日制などをずいぶん昔から実施してきました。単位数は中学34単位、高校は39単位平均で、高校は7校時まで授業を実施しています。卒業生は、地元の中国地方に3分の1ほどが残り、関東に3分の1、関西に3分の1それぞれに進学していきます。

校内にあるカトリック的なものといえば、入学式、聖母祭、追悼式、卒業式、クリスマス会の行事などでしょうか。4校時後に「アンジェラスの鐘」が鳴り、先生も生徒もその場で手を合わせて祈るという習慣があります。釜が崎での体験活動があったり、高2の座禅静修や高2高3の「光りの伝達式」というあたりに本校の特徴が表れているかもしれません。

教職員は、4月の始業ミサに始まり、学期に一度神父さまの話を伺っています。6月の保護者会で司教さまを招いて教員と共に話を伺うこともあります。教員の黙想会もあります。

2.創立の精神

創立の精神として次のようにあります。

イエス・キリストの価値観を大切にしながら、自分に与えられている力を開花させ、他者のために他者と共に生きる女性を育てる。

校訓は次のように定めています。

マリアと共に 神に信頼 己に忠実、互いに睦み、すすんで奉仕

神に信頼と希望を持って力強く、人間らしく、自分らしく、ということです。第1回の卒業生のひとりが今の理事長ですが、その理事長が校長になるときこの「5つの校訓」をつくりました。

「18歳のプロファイル」というのも定めています。これは90年代に教員のプロジェクトチームが、本校の生徒は18歳の卒業の時、こうあって欲しいと願う理想的な姿をイメージしてつくりました。学校案内の一番最初のページに書かれています。

1.「私は愛されている大切な存在である」ことがわかるようになってきています。
2.学ぶ姿勢と身についた学力を生かす力が育ってきています。
3.豊かな関わりを築いていく力が身についています。
4.奉仕する心と実践する力が身についてきています。
5.自己の成長を常に追求する姿勢が身についてきています。

これらは6年間のうちにどこまで具体的に力を身につけてきたかを計る指標となっています。自分が神から愛されているという自己肯定感をもとに、自分を受け容れ人を受け入れ神を受け入れていく姿を描いています。特に自分の力を超えた大きな存在の力を感じることも大切にしています。

イエズス会の Men for Others ふうに言えば、Living with Others, Living for Others となりましょうか、「他者とともに生きる、他者のために生きる」これが創立の精神です。

3.現状と課題

福山市は人口46万人でそこに私学が5校あります。広島大学附属高校のほかに公立の6年一貫校もあるなかで、本校は唯一の女子校です。今年の福山の小学6年生の女子数は2150名でした。その22%にあたる480名が私学の女子の募集枠定員で、それを競合する形になっています。地方とはいえ、首都圏と同じくらいの割合です。
そういうなかで原点に返るということが強調されています。全員が宗教教育に関わり、創立の精神を教えていけるように、一人一人を大事にしていく宗教教育を実施する必要性を感じます。もっと細かいレベルで先生と生徒が交わり、意味づけをして評価をして、誉めて叱って、感動を共有してやっていく、そういう教育を実践していけたらと望んでいます。
社会が即時的刹那的変化を求めるなかで、そうではない側面を大事にしたい、眼に見えないところで支えあう、心の深まりとか精神的な安らぎとか私たちが求めているものを世間の人たちも求めているという確信があります。それを導く教職員をつくるというのが現在の私たちの課題です。

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第11回12回 建学の精神(カトリック学校の多様性)

建学の精神(カトリック学校の多様性)

今回と次回にわたり、6校の学校の「建学の精神」について紹介してもらいます。どこのカトリック学校もみな「建学の精神」を持っています。そしてそれは、カトリック学校の個性や多様性をつくりだしています。
それが現実の場面でどう生かされているのかを聞き、自分の学校のものと比較しながら考えることはとても有意義だと思います。

第11回 10月16日

福山暁の星女子中学高等学校 石部豪清先生
函嶺白百合学園中学高等学校校長 Sr.深水洋子先生
暁星小学校校長 佐藤正吉先生

第12回 10月30日

静岡聖光学院中学高等学校教育顧問 福本良雄先生
聖園女学院中学高等学校 平野俊介先生
東星学園小・中・高等学校長 加勇田修士先生

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