第7回 教会における教育

梶山義夫(イエズス会)

1カトリック教会の使命を担う学校

「教会」というとまず、日曜日にいろいろな人が集まるいわゆる教会というイメージがあります。これを小教区と呼んでいます。しかし、教会は小教区だけではなく、幼きイエズスの修道女会などの修道会、パリ外国宣教会などの宣教会、神学校様々な教育機関、そして、多様な社会福祉施設があり、霊園や納骨堂もあります。

人の生涯の様々なところで教会が関わっているので、教会はとても多様な側面を持っています。特に教会の中での「教育」というと、古代では大人の人が洗礼を受けるための教育というものが行われていました。主に改宗のための教育、改宗した家族の子供たちへの教育というものが始まっていきます。教会にとっての大きな転換期は、4世紀のコンスタンティヌス大帝のときです。このとき、キリスト教はローマ帝国の宗教になっていきます。国教になり、たくさんの人たちがキリスト教の家庭に育っていくことになります。

続く中世の時代の教育センターの一つは、修道院です。ベネディクトゥスという人が修道規則をつくり、それにもとづいて修道院生活が行われていきます。これが大きくヨーロッパに広がっていくのが7世紀以降です。修道院に付属して学校がつくられていきました。主に修道者が教育を受けますが、周囲の人々も教育を受けていきます。

もう一つ、教区の中心にある司教座聖堂、カテドラルにも学校ができるようになります。神学だけではなく、様々な学問、古代からの教育の伝統を引き継いで教育が行われます。とくに有名なのは、12世紀にフランスのシャルトルのカテドラルに学校で、高度な教育が行われました。

13世紀からは、大学です。パリ大学、ボローニャ大学などです。

一般に私たちが言う学校ができるのは、ルネッサンスの時代15世紀ぐらいからです。ラテン語を教る、古典文学を教える学校ができるようになり、一般の市民の子どもが勉強をするようになりました。このような流れの中で、教会が積極的に教育に関わるようになっていきます。そのなかの一つがイエズス会です。イエズス会も最初は神学生の養成を行っていました。しかし、イタリアのシシリア島のメシナの市民から依頼を受けて、その町に学校をつくります。それからヨーロッパ各地にコレジオと呼ばれる学校をつくっていきました。

日本にもキリシタン時代に、コレジオができます。イエズス会だけではなく、様々な修道会を通して学校教育ができるようになっていきました。当時は、今で言う「中等教育」が盛んになっていきました。また、カリキュラムも整備されるようになりました。

中世以降カトリック教会にとって、教育は重要な要素になっています。教会として公教育を担うというのは、伝統的に重要な仕事なのです。

そこで、日本のカトリック教会はどのように考えているかということですが、「今、カトリック学校教育に求められること」という冊子をみてみましょう。

「日本カトリック学校としての自己点検評価基準」

1 教区長から、カトリック学校として認められている。

2 教区長との連絡が適宜行われ、小教区との相互協力も行われている。

3 学校法人理事会の構成ならびに運営方針が、カトリック学校としての存続と発展を約束する。

4 寄附行為、学側、就業規則、学校要覧等に、学校がキリスト教精神に基づいて運営されることが明記されている。

5 学長・校長・園長が、カトリック学校の理念と精神を保ち、それを実現するためのリーダーシップを発揮できる人である。

6 構成員が学校のキリスト教精神を尊重する。

7 教職員が、キリスト教の理念に基づいて一人ひとりの個性を尊重した全人教育を行おうとする積極的な意向をもつ。

8 教育活動の全領域で、キリスト教精神に基づいた人間育成がなされている。

これらについてどのようでしょうか、皆さんの学校について参考にしてください。

教会には様々な側面があります。日本全体のカトリック教会をまとめる組織として「カトリック中央協議会」があり、そこにいろいろな委員会が設置されています。この冊子も、学校教育委員会というのがあって、その委員長として池永潤司教の名前で出されています。学校の教育については、学校教育委員会だけではなく、他の委員会から文書が出されることがあります。

例えば、社会問題を扱う「日本カトリック正義と平和協議会」から、2001年2月20日には担当の大塚司教の名前で、「カトリック学校での日の丸・君が代・元号についてのお願い」という文書がカトリック学校に向けて出されています。

また、2001年5月7日には内閣総理大臣宛で「教科書検定合格に関する憂慮表明」という文書が出されており、これはカトリック正義と平和協議会だけではなくて、日本カトリック司教協議会の名前でおおくの司教が名前を連ねています。

2006年5月20日に、やはり内閣総理大臣宛で「教育基本法改訂案に反対する」と題した文書もあります。

ここに出ているようなことを学校は絶対視しなくてはならないということではないのですが、しかし、これらを重要な勧告として考慮に入れて学校長が判断してほしいと思います。

さて、なぜ教会にそんなにたくさんの要素があるのかという時に、「根本的に人間は多様な存在である、ひとりひとりの存在、社会も多様である」という理解があるからだと思います。

2 人間理解

人間には5つの側面が必ずあります。一つ目、人間は知的な存在です。知的な要素、理性があるという要素があります。また人間は情緒的な感情、喜怒哀楽、そういったものをもつ存在です。三つめとして、人間には倫理的、道徳的な側面もあります。人と人との関わり、社会性という面もあります。そして、最後に、非常に大切な側面として宗教的な側面があります。信仰とか希望とか愛の側面です。このような一つ一つの側面は、皆さんの学校が「『全人教育を行う』と言った時の中身は何か?」と問われた時、これらの基礎となる「身体性」とともに大切なこととなります。

人間はよく「霊魂と肉体からなっている」と言われます。しかし、聖書はこのような二元論をもっていません。ギリシャの思想にはあります。プラトンなどははっきり言っています。キリスト教にも影響を与えていますが、聖書のなかでは基本的には一元的な見方がされています。人間というものは100%魂で100%肉体である、100%心であり100%体であるという見方です。この教育をそれぞれの側面でやっていかなくてはいけません。それぞれの側面は影響を与えあいます。知的な発達は他にもよい影響を与え、社会的な側面の成長も他の側面に影響を与えます。逆に言えば社会性が極めて崩れていくようであれば、他にも悪い影響を与えるということです。そういう存在が人間です。

「意識の流れ」ということを考えると4つの段階に分けることができます。人間には根本的に無意識の世界あります。あと、意識の世界です。この中間にあるのが夢であったりするわけです。初めに出てくる意識は知的な意識、「これはいったい何なんだろう」「いったいこれはどういうことが起こっているんだろう」というような意識。それから倫理的な意識「私はこれに対し何をしたらいいのだろう」という意識。そして、一番上が信仰、希望、愛の意識、「私は将来どんな人になっていったらいいんだろう」「私の生涯はどんなものに賭けていったらいいのだろうか」とか「この人と結婚する」というような決断もこのレベルのものですね。「この信仰を貫いていく」ということや「教師としてこのような価値観で生き抜いていく」ということ、これもこの意識です。この意識は基本的に真理を目指し、善を目指していく、自分を向上させていく、本当の自分を形成していく、宗教者で言えば「神との関わり」ということになっていきます。全員教育というのはこれらの全体に関わっていくということです。

3 イエスの基本メッセージと教育

ひと月前の話で、私はイエスの中心的なメッセージとして、マルコの福音書の「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」という言葉を紹介し、イエスのすべての行いと教えはここに要約されているという話をしました。「悔い改め」というのは、「悪いことをした。ちょっと改めましょう・・・」ということではありません。よく「回心」と訳されます。英語ではConversionです。「生き方を完全に変えていく」あるいは「考え方の道筋を徹底して変えていく」ということです。カトリック教育というと言葉は悪いですが、「悔い改め教育」、「回心教育」と言ったらよいかもしれません。

◎教科指導

まず、「知的な回心」ということが重要です。いろいろなことを知らない、見えていない、偏見がある、誤解がある・・・その状態から、真理に向かっていくということです。「今、カトリック学校教育に求められること」の冊子に「なるべく信徒の教員を採用するとよい」というようなことも書かれていますが、教科を教えられない信徒の先生を採用してもしょうがありません。なぜかというと、これは、根本的にキリスト教の世界理解に基づいているのです。「すべての存在は被造物である」ということ、すべての善、すべての真理、すべての知識は「根本的に神が世界をつくった」ということに由来するので、知ること自体に価値がある。信仰をもっている、もっていないに関わらず、人がそれを知るのは素晴らしいことなのだ、そこに意味があるということです。

私達は小学校なら小学校、中学や高等学校ならそこで、知的な教育に力を入れていかなければいけないということなのだと思います。確かに、受験のテクニックなどということも教えていかなければならないとは思いますが、全体的に子供たちが真理に向かっていく、そういう教育がなされていくべきですし、真理に向かう教育のなかでで受験指導も十分にできると思います。私自身も世界史や倫理で受験指導をしてきましたけれど、その中で歴史の面白さとか倫理・思想を知っていく醍醐味などを伝えながら、大学進学の指導も着実にできると思っています。大切なのは「分かった」という喜びと「問いかけに答えることができた」ということ、また、「自分が分かっただけではなくて、他の人にもそれを伝えることができる」という、そこまで導くことが、知的な教育には求められていると思います。

◎生徒指導

もう一つは、生徒指導です。生徒指導の中での「回心」、これには、義務、「しなければならない」ということを深く理解し、そしてやることができるというところへ導いていくことが必要です。子供にはわがままなところや、好き嫌いがあります。それらを乗り越えていかなければならない・・・そのようなことです。

「道徳教育の研究」で学んだのはコールバーグです。この説はいろいろ批判を受けていますが、全体像としては有用な面があります。

子供は自分の欲求が満たされることを望んでおり、それが善であると考えます。次の段階は快・不快、利益・不利益ということを考えます。三番目の段階は「他の人との同調」ということです。「いい子にしましょうね」「そうか、僕はいい子だからこうしよう」とかそういう状況です。よりよい人間関係を維持するために立振舞ったりすることです。四番目にコールバーグがあげるのは「ルール」です。「ルールだから守る」ということ。五番目は「社会契約」です。お互いの契約を大切にして、誠実に生きていきましょうということ。六番目にあげるのは「良心の声に従う」あるいは、「普遍的な善を目指していく」こういう段階だということです。子どもは成長していきます。確かに小学校1年生と高校生の指導は大きく違います。成長段階に従っての指導が必要です。

これらの生徒指導の中で重要な役割を果たすのは、「校風」です。よく挨拶をするとか、掃除が行き届いているといった学校があります。とても「校風」を常に素晴らしいものとして展開する必要があります。

校則も、とても大切な意味があります。まず、校則はよくできていなければいけません。成長段階に応じてバランスがとれたものである必要があります。基本的に、「良いこと」。「しなくてはいけないこと」があるということに気がつくという要素、校則が設定されることによって、子どもが自分たちの内面性、弱さに気が付いていく、葛藤が生じ、自分や他の人の内面に気付く機会を与える要素があります。拘束をめぐって、個人的な指導ができる契機を作る面もあります。他に、子どもの社会性を高めていくという要素もあります。

◎担任指導

次は、担任指導です。ホームルームの指導を通して、子どもが「ここにいていい」と感じ、居場所を見つけられる、安心感を与えられるということが重要です。子どもはさまざまな傷や劣等感を持っています。その子どもに対して、担任は「あなたがここにいることは素晴らしい、私の喜びである」というメッセージとして出していく必要があります。教科の方でうまくいかない子は必ずいます。クラス担任が教科担当と同じ接し方をしていてはうまくいきません。家庭と連絡をとりながら接していくことも大切です。

入試で入ってきた生徒たちに対してオリエンテーションで、新入生が「ここにいていいんだ」と肌で感じ取ることが必要だと思います。偏差値で進む学校を薦められてきた生徒は、偏見をもっていたりします。学校で受け入れたからには、学校全体がその子が入ったとことを喜んでいるということを示すことが大切です

◎部活指導 行事指導

部活動、行事ということも非常に大切です。部活動には、目的があります。目的を達成するための努力、そして達成した時の喜び、あるいは一緒にチームを組み、互いに切磋琢磨していく喜びを子どもが経験していくというのは非常に重要だと思います。

また、行事で、クラスや学年などで責任を担っていくという経験も大きな価値があると思います。週5日制になって、学校によっては、学校行事を減らそうということもあるかもしれませんが、やはり学校行事は大切な教育の場だと思います。

◎心のケア

傷つけられている、怒っているという状況から、希望や喜びに回心していく教育です。教師一人ひとりが生徒の心のケアができることも必要ですが、学校全体として心のケアのシステムが必要です。学校カウンセラーをただ置くだけではなく、その運用のシステムを学校全体で確認しなければあまり意味がありません。

学校全体で心のケアをするというのは、かつてのカトリック学校では一つの大きな特徴でした。指導司祭がいて、ゆるしの秘跡を受ける時間が確保されていました。内面の問題について司祭に指導を受けていたわけです。カウンセリングとは少し違いますが、このようなことを通して心のケアが行われていました。

日本ではカトリック信者がそう多くはないですが、カウンセリングの位置づけにおいて、このようなカトリックの伝統をどう生かしているかというような視点で考えていくこともいいのではないかと思います。

4 カトリック教育のいくつかの特徴

学校全体がどこへ向かっているのかということが大切だということが分かります。学校全体が悔い改め、回心の道を歩み続けなければなりません。根本は建学の精神です。イエズス会では、16世紀末にできた学事規定はもう廃止されて、現代は、1980年代にローマで出されて、いろいろな国で訳されている「仕えるために~イエズス会教育の特徴」(ドン・ボスコ社)が、中等教育の原点です。私達の教育の原点、基準は何かということは、いつもここに立ち返り、この基準に照らしてどうなのだろうか、どのように評価でき、どこが足りないのだろうということを考えていきます。皆さんの学校にとっても建学の精神に立ち返ることが大切なはずです。学校によっていろいろな特徴があるでしょうから、それぞれを生かしてくだされば思います。

建学精神について、カトリック学校に共通したいくつかの特色があります。キリスト教の基本的な理念に基づいているものです。

「創造にもとづいている」、「一人一人には決定的な価値がある」ということです。

また、真理、知識に向かっていくときに、真理を教師が学び、生徒に伝達していくという関係だけではなくて、生徒と教師が同じ地平に立ちながらともに真理を目指していくという関係が大切です。学校とは、教師と子どもたちの知的な探求の中に真理が生まれてくるという、真理をめぐるダイナミズムが展開する場です。この関係は、生徒指導であれば善を巡るダイナミズムです。教師と生徒という上下関係も大切ですが、同じ地平に立って、相互の関わりの中で善、真理が生まれてくるのではないでしょうか。この点でも、一人ひとりを大切にするということが重要なのです。

罪という考え方が重要です。罪の影響のために個人、社会、文化などの自由が束縛されます。回心は自由に向かっていくということ、これが聖書の根本概念、聖書が生まれた根本的なきっかけでもあります。エジプトの奴隷が自由になっていく、バビロンにとらえられた民が解放されていく、自由を束縛するもの、自分のわがまま、エゴ、執着から解放されていく、自由になっていくということが大切なのです。

そして、生涯教育ということです。「18歳のプロファイルが大切だ」ということで、いくつかの学校でプロファイルが作成され、教育現場で活用されています。最近、28歳くらい、つまり高校を卒業して10年くらいたってからどんな人になっているのかということが重要なのではないかと思い始めています。二十代の終わりに、その学校を出た人がどのようになっていてほしいのかというようなことも考えなくてはならないのではないかと思います。

イエズス会では「他者に仕える人」、“Man and Women for others with others”という言葉がモットーになっています。アルベ総長が40年くらい前にバルセロナであった全世界の同窓会の場で講演し、「私達の教育、イエズス会の教育は本当に社会の中で他者に仕える人、正義を促進する人を育ててきたのだろうか?」という問いに「いいえ。本当に貧しい人たちを優先するような教育を配慮してこなかった。これからも教育をしていくのであれば、もう一度真面目に考えないと意味がない」という内容の発言をして、世界の同窓会の会長が辞任してしまうということがありました。

今、カトリック学校のモットーなどをみていると、世界の全体をみて貧しい人や苦しんでいる人を視野に入れて教育をしているところが多いのではないかと思います。そういう点でずいぶん変化があったと思います。人間の信仰、希望、愛を育てる学校教育も当然必要です。

同時に本当に建学の精神を今日の状況のなかで、創造的に展開しているか、常に振り返る必要があります。

*分かち合いでは各学校の具体的な行事や指導方法なども話題になり、カトリック学校の特徴をどのように教育活動で実践していけばよいのかを意識しあう、よい機会となった。共通点をもつカトリック学校の建学の精神だが、個々の学校の特徴という面も重要であり、これについては次回に扱うこととなる。

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