聖セシリア女子中学校・高等学校

(3)修道会以外の経営 女子校・・聖セシリア女子中学校・高等学校 原信江先生

「聖セシリア」と聞いても、知らない方もいるのではないかと思いますので、少しお話しいたします。ここは四谷ですから、新宿に出て小田急線に乗って江の島方向に向かう途中の大和市南林間に本校があります。

本校は、今は聖セシリアという名前でございますけれども、当初は大和学園という学校名をつけておりました。創立50周年を期して「聖セシリア」に変 更いたしましたけれども、これはちょうど大和市にあり、大和高校、大和中学校、大和小学校という学校がある中で、私学のカトリックの学校ということがたく さんの方に浸透しないということがありまして改名したわけです。

創立者は本来、大和撫子ということを思ってつけたということですが、よりキリスト教のカトリック精神に基づく学校であるということをわかっていただ くために「聖セシリア」に変更しております。本校は「信徒使徒職の学校である」と先ほど紹介していただきましたけれども、今年で80周年を迎えました。

創立者と、そのお嬢様が継いでおられますが、2人の校長によって作られた学校です。現在は、保育園、幼稚園に入る前のキンダースクール、そして幼稚 園、小学校、中学校、高等学校、短大がございます。特徴のある学校ですので、本当はここに校長が来て話すのが、一番いいと思うのですが、今日は、校長が保 育園の運動会と中高の説明会がございまして私が任命ました。

私は中高に所属し、宗教科、社会科を担当しておりますが、今は中1と中3と高3をもっております。その現場の中で今も変わらないで行われていることと変わってきたことが融合されながら、創立80周年を迎えました。

お手元に資料がございますが、これは80周年ということで、夏に教職員の研修を行いました。その中で使われたものです。これを全部は説明できません が、一部をご説明したいと思います。設立は1929年ちょうど世界恐慌の時です。昭和4年に設立されました。聖セシリアの建学の精神は

①カトリック精神に基づき、

②“信じ・希望し・愛深く”を心の糧として、

③知育・徳育・体育のバランスのとれた総合教育を目指します。

④単に学問の向上のみを目的とせず、

⑤神を識り、人を愛し、奉仕する心を持って、

⑥広く社会に貢献できる知性を持った人間の育成が、

⑥   聖セシリアの建学の精神であり、社会的使命です。」

ということです。これが80年の間伝わってきたものです。この中で特に創立者は「神を識り、人を愛す」ということをいつも一番の土台に考えてきたということだと思います。

教職員の研修のために①~⑦とわけてありますが、①の「カトリック精神に基づき」ということは、それが、教職員の間でも生徒に対してでも、普遍的な価値であるということで示しております。

そして②「信じ・希望し・愛深く」というのは、申しあげるまでもなく、コリントの信徒への手紙の中に「信じること、希望すること、愛すること」があ りますが、子どもたちもいつも口にしております。一番大切な「愛」ということを在学中に本当に分かる人になってほしいと思っております。そして、バランス のとれた総合教育ということをめざしています。

④番目の「学問の向上のみを目的とせず・・」ということについては、さきほどサレジオ学院は進学校ですということがありましたが、本校も、学習につ いてはもう少し貪欲にやっていかなくてはいけないとも思います。しかし今日も説明会で保護者の前で「進路、進学実績だけに特化した学校ではありません」と 宣言しています。学力が必要ないということではなく、将来それぞれが社会の中で自立し、貢献するためのしっかりとした力を身につけることはひつようなこと です・・・、もちろん高校を出たあとにどこの大学に入るかということについては、よりよい大学に入るということが望ましいわけですが、キャリアガイダンス という中でもこのように言っています。どんな人間になりたいのか、人として、女性として、社会の中でどういうふうに自分は貢献していくのか・・・、それは 自分の喜びでもあり、他人の喜びでもあり、どのように、共に、互いに支え合っていくのかを考え、行動で守るようになる、つまり心の教育、力の教育ともに必 要だと思っています。学校の中でも論議されたことがありますが、それぞれの教科指導が真に充実した時に止揚される・・・これは別々のものではない・・・両 輪のように・・・ということです。

⑤番目の「神を識り、人を愛し、奉仕する心を持って」ということですが、創立者や校長の姿を見ることによって分かります。本当に神様というのが見え ない存在であっても、それを信じる人の姿を見ることによって、キリスト教やカトリックがどういうものであるかを知ることができるということが私達に示され ていると思います。

創立者や校長の「信じる心、希望する心、愛する心」を本当に真似をすることはできないのですが、いつも校長が話す「神を愛すること、神を識ることの 大切さ、神は全知全能である」ということを言葉だけでなく、行動されていることを見ることによって、私達教職員も学んできたように思っております。

次に⑥番目の「社会に貢献できる知性をもった人間の育成」ということですが、子どもたちは高校、あるいは大学を卒業した後に、社会の中で、お母さん であったとしても、いろいろな職場の中でも、自分を生かすということ、自分を大切にすることをまず考える・・・、そしてそのことは自分自身のわがままでも なく、自己満足ではなく、自己表現することを大切にするということは他者とともに生きることにつながるということを在学中に学び、社会貢献できるような人 間を育成したいと思っております。

⑦番目ですけれども、変わらないものをもととしながら、それぞれの時代の中でいくつかの教育目標を作って展開してまいりました。特に私がお話したいのは、創立者、伊東静江が目指したことです。

明治44年に東京聖心女子学院英語学校に入学したのですが、その時には、今の聖心の前身であると思いますけれども、在日外国人の子供のための学校と いうことで、日本人は本当に少なかったということです。その中で学んだ伊東静江は、英語を学ぶかたわら、一番心に訴えられたというか、人生の岐路に立つこ とができたというのは、外国人の修道女、シスターたちに出会ったということだということを話しておりました。シスターたちはキリストの教えというものを、 極東の地にひろめるという使命を担って日本に来ました。その姿を見て、本当に慈愛に満ちた敬虔な姿、行動の中で祈るということ、そして何をするにも人のた めに奉仕する心をもって活動することを見て、人は宗教というものをもたなくてはならないと思い自ら進んでカトリックの信者になったということです。

洗礼名はモニカと言いますが、この時代は昭和になっても良妻賢母の教育の中で、女性は学習すること、勉強することがまだ、ままならない状況であった ということがあります。創立者は、女性であっても一人の人間としての教育が必要であって、真の国際人となって、国際社会の中で活躍するために、宗教を土台 とした学校づくりをしたいということで、大和学園を始めたということです。「自分の意志をもって行動する自立した女子の教育」ということ、これを始めるに 当たっては周りから反対され、とても認められるということはなかったようですが、志をもって始められました。

創立者が作った学校は現在の校長に受け継がれました。伊東静江は昭和46年2月12日に亡くなられました、現在の校長はお嬢様で「私が継ぐとは思っ ていなかった。継ぐという力もない。ただ神様がそういうふうにあなたの使命としてこの学校を継いでいきなさいという声が聞こえてきて継ぐことになっ た・・・。」ということでございます。

伊東静江が亡くなった後で短大の卒業式のためのメモが見つかりました。今の校長はこのメモをひいて、1999年にこのように書き記しています。「一 日一日を大切にすごすように、そして理想を持ちなさい。神様が必ず助けてくださることを信じて、一生懸命その理想に向かって生きる時、必ずそれは実現する のです。そのことは私が自分の今までの人生の中で体験したのですから本当のことです。40年前この土地に学校を建てると言った時、ほとんどの人がそんな無 謀なことをと言って反対いたしましたが、今、現にこうして大和学園という立派な学校が存在しているのです。」この学生を送る言葉の中に、神への深い信頼と 感謝の念がこめられているのが感じられます。

今、神に祈り、努力することによって可能性を広げた創立者の熱意は、私を始め学園のすべての教職員に伝わり、より具体化し、実践されて大きな成果を もたらしております。私は母校ですが、創立者が亡くなった時、中学校3年生でした。そして現在の校長に変わったときに「本当に変わった」と思いました。創 立者は、とても厳しい方でした。生徒たちは近くに寄ると厳しく指導されることが多いので顔を見ると逃げていくといった現状でしたけれども、現在の校長に なった時に「とてもやさしくなった。居心地がいい」と生徒の私達は言い、本当に違う学校になってしまうという感じがありました。しかし、私が大学に行き、 また戻って教師として働く中で思うことは、時代が違いますから教育内容も違うということはございますが、お二人の共通することとして、建学の精神を実践し ていることは本当に変わらず受け継がれてきたと思っております。

創立者は「いつも祈りなさい」ということを言っておりました。今の校長もいつも祈っています。この祈りの意味とは、嘆願する、感謝する、反省する、 神様を賛美するという意味がりますが、信じるものがあって繋がってきたことを、祈ることをとおして感じております。現在の校長は「私が学校を作ってきたの ではない。教職員と共に歩んできたから今がある」ということ言葉で、私たちにもよく話しております。「生徒一人一人を大切に」とか「幸せな人づくり」とい うことを本校でも言っておりますが、まず校長がいつも言うことは、「教職員は本当に大切な宝物」ということです。もちろん生徒も保護者も大切ですが、その 前に共に働く者を大切にしてくださるということがいつもあり、それを実感しております。

最後に、聖セシリアは修道院の設立ではありませんがミッションスクールです。最初にできた時、現在の校長は、校長会に行っても「カトリック学校では ないと思います」というふうに非難されたり、認められなかったりと、いろいろあったことを聞いております。校内に聖堂を建設し、カトリック学校の証しであ る「ご聖体」を横浜教区の司教様からいただきました。これは本当に念願してきたことでした。

校長の文章の中に、「ミッションスクールの使命は、『あなたがとても大切な人なんだ』ということを生徒一人ひとりに知らせて、自分を大事にするよう な教育を行うことです。神様に愛されているということを知らせるのが使命なのです。『私なんかだめだ。』『どうせ私は』と考えてはいけない。自分の命がい かに大切かを知り、大事にする。つまりは他の人をも大事にすることに繋がるのです。」というものがあります。

現在はミッションスクールとして、カトリックの学校として、たくさんの方に認められるようになりましたが、そうなったということは、いろいろな修道 会や教区のみなさまに支えられております。宗教教育、講演会など多くの方々に支えられながら実施しております。ご聖体がありますし、月1回の教職員のため のミサが行われておりますが、いつも聖職者がいるわけではありません。教職員がカトリック学校として大切なことを守っていくには、型も大事かなと思ってお ります。生徒もほとんどが未信者です。信者の生徒、教職員は一握りですが、お祈りすること、ミサがあること、宗教教育が一貫教育の中であることを大事にし ています。最初は受け入れにくいとも思っておりましたが、子供たちは形から入り、心の中に純粋に受け入れていきます。

教職員も聖書を読んだり、お祈りなどいままでやっていないことがたくさんあるので、戸惑うことがありますが、毎日の生活の中で、それが浸透していく のは心の教育をするために宗教は大切であると思えるからだと思っております。教職員が働いた環境で、キリスト教に出会い、夢が入れるように導いてくださっ たのも校長です。

最後になりますが、教職員の宗教活動として、それぞれの部署でやっていることがありますが、創立者の名前をとり、「モニカ会」という教職員の宗教活 動があります。その中で教職員のための行事、ミサ、研修活動があったりと、いろいろな神父様方からお話しをしていただいたりしています。私達が教職員とし てどうあるべきかを学んできたように思います。神父様方だけでなくシスターがいらしたこともあります。本当に周りの方から「大丈夫かしら」と言われること も多々あったようですが、女子教育ということを創立者がなぜしたかったか・・・、この多感な時期に女子教育の本当に良いところを確信を持って実施してきた と思います。

たくさんの学校の先生方にいろいろ教えていただきながら、さらに、21世紀の中で成長できる学校、子供たちが、本当に愛することが分かること、愛されていることが分かること、幸せな人になってほしいと思っております。

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