中3 「放蕩息子」をどう読むか

「放蕩息子」の聖書を読み、簡単な解説を加えた後にする作業です。対象は中3女子生徒。

作業は「放蕩息子」の話に登場する人物のうちひとりを選び、その人物になりきってその日の日記を書こうというものです。弟、兄、父、雇い人、(この話には出てこないけれど母親、妹でもよし)のうちの誰かの日記です。

案外オススメは雇い人でしょうか。この話を客観的に見ることができるから。 時間は20分くらいです。 次の時間にうまく書けているものを数点読み上げます。

とりあえずひとりを選んだ場合の結果です。中3の女子生徒たちは誰を選んだと思いますか?  兄を選んだのが100人、弟が29人、使用人が23人、母と妹が3人ずつという結果になりました。 兄がダントツなのですね。 これには考えてしまいました。

そこで生徒の書いた日記をいくつか紹介しましょう。

【雇い人の日記から】

あれから何年たったのだろうか。だんな様から財産の分け前を勝手にもらって出て行ってしまい、どこへ行ったのか連絡もしないで……………。もう、どこ かで死んでいるのかと思ったぐらいだ。

うすぎたない格好で最初は誰かと思ったんだ。今頃どうしてこの家に戻ってきたのか、私だったらぶん殴ってやるだろうに。

それなのにだんな様はとてもうれしそうにうけいれた。しかもあんなに大事にしていた仔牛を屠られたなんて、私にはだんな様が理解できない。

かわいそうに、お兄さんの方は今までずーっとまじめに働いていたのに、不平等だ。なぜなんだろう。私には理解できない。

あの放蕩息子はこれからまじめになるのだろうか。だんな様は死んでいたのに生き返ったといっていた。しかしあの放蕩息子が昔と変わったというのだろう か。また昔みたいに自由でワガママな暮らしをするんじゃないだろうか。心配だ。

【雇い人の日記から】

今日ご主人様の下の息子がかえってこられた。与えられた財産のすべてを食いつぶしてしまったのだから、もう息子としては扱われないだろうな、と思っていたが、ご主人様はいなくなっていた息子が見つかった!と喜び、仔牛を屠って祝宴を開かれた。

なんて心の広いお方なんだろうと私は思った。 私だったら、息子が遊びほうけて、財産をすべて使い果たしてしまったことを烈火のごとく怒るだろう。 それなのに歓迎してやるとは……………。

上の息子さまの気持ちもよくわかる。ご主人様にあんなによく仕えておられたのに自分には何もしてくれないで、遊びほうけていた弟のためには祝宴を開い てあげるなんて、怒られるのも無理はないと思った。

でも、今は兄の方も機嫌を直しているからきっとご主人様が説得されたのだろう。 なんだかんだといってもご主人様はどちらの息子も可愛がっておられるに違いない。これからは親子3人で仲良く暮らしてもらいたいものだ。

【兄の日記から】

まったくおれは何という弟を持ったことだろう! まだ父が元気だというのに財産だけ奪って出て行ってしまった。親不孝にもほどがあるというものだ。おまけにむこうでは遊び暮らして無一文になったとい うではないか。その上どこかの農家の豚小屋で豚のえさを食って生活していたというではないか。

我が家の家の名を汚すふとどきものだ。おれはあいつを血の つながった弟とは思わない。村に出るのが恥ずかしい。

父も父だ。遊び暮らしていたあいつが久しぶりに帰ってきたからといって、あんなに喜ぶとは。 だいたい不公平だ。毎日こつこつ働いているおれには何にもしてくれないで、あのバカがよれよれになって帰ってきても祝ってもらえるなんて……………。

思えば昔からそうだった。父は弟とおれがけんかしてあいつが悪いのにいつも叱られるのはおれだった。

奥の部屋からにぎやかな声が聞こえてくる。思えばあいつのあんなにうれしそうな顔を見たのも何年ぶりだったか。あんなぼろぼろの服を着ていたが、どんな生活だったのだろう。一日ほとんど食べられない日もあったことだろう。辛くて惨めだったに違いない。

考えてみたらおれも大人げない。弟がひとりで苦労していたあいだ、おれには温かい家族があったわけだ。 せっかく戻ってきたのだから、おれもいって祝ってあげることとするか。

【兄の日記から】

今日どこにいたかわからなかった弟が帰ってきた。父さんは一生懸命に働いてきた私にはしたことがないような祝いをした。私は弟が憎らしい。

なぜ私だけ がこんな目に遭うのだろうか。まるでわたしはバカみたいではないか。弟も苦労したらしいが、はっきり言ってそんなの自業自得だ。勝手にどこかで飢えよう と遊んでいた自分が悪いのではないか。まったくふざけた話だ。

だいたい父さんも父さんだ。甘やかしすぎだ。だからあんな弟になるのではないか。バカげてる!

だが待てよ。もしかしたら私もどこかに家出して帰ってきたら父さんはわたしに仔牛をごちそうしてくれるだろうか。 そうだ。こんな家、出てやる。そして今までやっていた仕事をすべて弟におしつけてしまえ。そうしたら私がどれだけ苦労してきたかがわかるだろう。父さ んにも私がいないとどれだけ大変かわからせてやるさ。ハハハ!

そうと決めたら気分がよくなった。今日はこのまま寝ることにしよう。

【弟の日記から】

今日ぼくは自分の生まれた家に帰ってきて、今自分の部屋の自分のベッドで横になろうとしている。父さんはずっとぼくの部屋に手をつけないでおいてくれ たらしい。不思議に素直な気持ちだ。こんな安らかな気持ちはなんてひさしぶりなんだろう。

それにしても今日は意外なことばかりだった。 ぼくは遠い国から二目と見られないほどみすぼらしい格好でかえってきたのに父さんはただ抱きしめてくれた。信じられない、どうしてゆるしてくれたんだ ろう。

ぼくは自分のおかした罪の大きさを知っている。父さんだってわかっているに違いない。それなのになにも言わないで、責めないで、ただただ喜んでくれ た。ぼくはこれでいいのかという不安さえ浮かんだ。

けれど実をいうと、父さんがぼくを愛しているという喜びの方がずっとずっと大きい。これは今まで感じ たことのないようなうれしさだ。 ぼくはこれから老いた父の片腕となって働きたい。自分は本当はゆるされるべき人間ではないということを覚えていよう。そうしてもうふたたび金にかどわ かされるような生活は二度とかえらないと決心しよう。

ただひとつ気になることは兄さんのことだ。兄さんは怒って当たり前だ。そうするのが本当だ。 でもこのままでは兄さんとうまくやっていけない。そうなれば父さんが悲しむだろう。ぼくは自分のこの気持ちをどう伝えればいいのだろうか。

この授業の話を吉山神父の神学講座で話したところ、「それは放蕩息子をとりあげる一番いい方法かもしれない」とお褒めの言葉をいただきました。 「でもできたら、好きな登場人物をひとりだけ書くのではなくて、弟または父の日記は必ず書くようにしたらいい。とくに弟の気持ちになりきるとこの話がもっともよくわかるのではないか。」 という助言をいただきました。

このように聖書の登場人物になって「日記を書く」というのは聖書をより深く理解するためのとても言い作業だと思います。「ぶどう園の労働者」や「マルタとマリア」の場面でもやってみるとおもしろいです。

以前「聖書を主題とする創作パーフォーマンス」というのを中3で行ったことがありました。聖書の中の有名な場面といくつかあげておいて、それを読んで紙芝居、影絵、スライド、演劇、ミュージカルなどを創作して演じることを授業でしたことがあります。 それをビデオにとってありますが、これは生徒も面白がって取り組んでいて、なかなか興味ある作品ができました。おそらく私の「宗教」の授業の中でもっともおもしろいものとなったと思っています。

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