LHR で「自殺」について話し合ったことがあります

私が教員として働きだした1年目、今から20年以上前のことです。高1のあるクラスのロングホームルームに招かれました。テーマはなんと「自殺について 話し合う」というのです。あのころ、岡田何とかいう女性タレントの自殺の「後追い自殺」というのが頻繁に起きていたときでした。
いまでは、ロングホームルームでディスカッションをするというのが難しくなっています。ましてやこのテーマですることは考えられないことですが、あの時は大胆にもこういうテーマでの話し合いができたのですね。

生徒委員が二人司会をしていました。その司会者はいきなりこんなことをクラスの生徒にきいたのです。
「自殺したいと思ったことのある人は手を挙げてください」
生徒たちには「え!そんなこと、答えなければいけないの」とぎょっとした反応もありましたが、司会者たちはそういう反応をものともせずまた深く考えさせず に手を挙げさせるのです。まわりを見渡しながらおずおずと手を挙げた生徒が10何人か、3分の1くらいいたでしょうか。
司会者は続いて「なんで死のうと思ったのですか? 手を挙げた○○さん、答えてください」とまた大胆にも指名して聞いてきます。
さされた生徒は「え! 答えなきゃいけないの」といいながらも「大失敗をして人に迷惑をかけてしまったから死んであやまりたかった」と答えました。
では「○○さんは?」と冷静に事務的に次の人を指名します。「自分に絶望したから」という答えも出てきました。
「ほかの理由で死にたいと思った人がいましたか?」とまた聞きました。
「親にこっぴどく叱られて、死んでやると思った」とか「友人に裏切られてはらいせに」とかいう理由もあがりました。
司会者は「死にたいと思った人」にその理由を次々と聞いていきました。何となく答えることを拒否しにくい雰囲気があったので、みんなためらいながらも正直に答えていきました。
そしてこんなふうにまとめました。「死にたいと思った理由は、自分に絶望したタイプとだれかに思い知らせるために死んでやろうとする腹いせ型タイプがあるようですね。」私の記憶ではけっこう腹いせ型が多かったという印象が残っています。

そして続いての質問です。「今みんなが生きているということは、そのときは思いとどまったということですね。どうして思いとどまったのでしょうか?」とまた指名して答えさせました。
「死ぬのが怖くなった」という理由が多かったようです。
「親や友人に説得されて」というのもありました。
「自分が死んだらまわりの人がどんなに悲しむかを想像したら死ねなくなった」というのもありました。
「一晩寝たら忘れてしまった」とか「死んだらおいしいものが食べられなくなるんだと思った」と言ってみなの笑いを誘うのもありました。

最後に「先生はどう思いますか?」と聞かれて私は何を話したかをよく覚えておりません。おそらく、私は死にたいなんて考えたことがなかったので、正直にそう答えただろうなと思います。
今だったら「親友が自殺してしまったことにショックを受け、それを思いとどまらせなかった自分を責め続けて苦しんでいる例を出して、いかに家族や友人が悲しむか、それだけでなく深い傷を生涯負いつづけることになるか」を話しただろうと思います。
生徒の誰かが、涙ながらにそういう話を出したら、この話はそこで終わりになっただろうと思います。

この話し合いは、司会をしていた生徒たちが「あっけらかん」と半ば強引に質問して答えさせたところがよかったのかもしれません。教員の指導がよかったからというのではなかった、むしろ教員たちはハラハラしながら、話し合いの展開を見つめていただけでした。

このテーマでの生徒間の話し合いは、このとき一度きりでした。はじめに述べたように、今ではこういう話し合いはできないだろうなと思います。むしろ「自殺を誘引してしまう」とかいって危険視されるでしょう。私もこの話し合いを指導できる自信はまったくありません。
あのころはリストカットなんていう現象も見られなかったし、今の子どもはもっと複雑なのかもしれません。
でも、生徒たちは心のどこかで、こういう話し合いができることを望んでいるかもしれないとも思えるのですね。

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