第7回 教会について

森一弘司教

教会とはいったい何かということを皆さんと確認したいと思っています。

カトリック教会のイメージからいうと、「祈りを捧げる神聖なところでそのための形が整っている場所」というイメージが最初に浮かぶだろうと思います。

「全世界でどこに行っても同じである。」「一つの組織」とか「お堅い」とか言うイメージも浮かぶかもしれません。

しかし、それは昨日の聖書の話と結びつかないですね。どうしてずれがあるのかということをはなしたいと思います。

皆さんがお持ちのイメージを壊してしまうかもしれないので少々無責任かもしれないとも思います。修道会や司祭たちが伝えてきたものをこれから壊しちゃうことになるかもしれないのです。

まず「教会」ということばについて考えてみましょう。ギリシャ語では“エクレジア”。フランス語、スペイン語などではこの言葉から出てきます。英語ではchurchですね。この違いになにがあるのでしょうか。

エクレジアは呼びかけられて集まった人たちという意味ですから、共同体のイメージがあります。エクレジアは漢字の「教会」=「教えの集まり」に比べると「教え」がないのです。

このように訳したのは、中国に行ったフランス人宣教師たちでかれらは「教会」と訳しました。

幕末に知多半島の漁師たちが台風にあって漂流されていたのを救助されて、マカオに送られた。ドイツ人宣教師たちに日本語を教えかつ聖書の日本語訳を作りました。そのギャツラフ訳聖書では「教会」を「寄り合い」と訳していました。この聖書は名古屋の人たちによって訳されたので名古屋弁が入っているとかいわれます。ただこの訳の聖書は日本にはほとんど影響を与えなかったようです。

明治期になって訳されたヘボン訳聖書では「集会」という言葉を使っていました。

現代の「教会」という訳語が用いられるきっかけになったのは、プロテスタント訳の聖書だったようです。

カトリックは天主公教会と訳していた。「教えが中心という印象を与え、堅苦しくそこへ行って勉強するという雰囲気」を漂わせていました。

church という言葉は、もともとはラテン語から来ていて、建物というイメージが濃い言葉です。4世紀5世紀ころローマ帝国の中で市民権を得たころ、聖堂を中心に集まってくる場でした。「神聖な」のイメージはありますが、キリストと出会ったというイメージが消えてしまうところが問題です。

聖書における最初のイメージをたずねてみると、あなたの上に教会を建てようとペトロに向かって言われたとき、かけ離れた概念ではなくて日常的な概念でした。共同体をあなたを中心にして作ろうという呼びかけにはじまったのです。

第1ステップ 初代教会のイメージ

1step

それぞれの人生において、それぞれの生活の中で、イエス・キリストと出会い、キリストの存在を見てそこに引き寄せられて言った人たちの集まりというイメージが第1ステップといえるでしょう。

ここには「おしえ」なんていうイメージがないのですね。

人と人の出会い、その人が何を考えているかを考えていないで、その人の姿勢や表情から直感的にとらえて引き寄せられたという段階です。人格的なふれあいをもとにしていました。キリストは直感的にその人をとらえてしまう、その体験がありました。

あるとき、高校卒業生たちが集まり先生を囲んで話し合った。ある卒業生が先生に「先生のおかげで今日生きているのですよ。先生のあの一言が私を変えた。先生が自分の苦しみを見ててくれた」と先生に言っていました。そこには直感的な出会いがあったようですね。

こういう出会いがイエスと人びとの間にあって、そのもとに「教会」をつくりました。教えとか思想ではないのですね。

その魅力は何だったのかと言えば、このひとりが滅びるのは神の望みではないという人間にたいする優しさ、誠実さであり、真実であったのです。

自分たちを利用しようということではないし、もちろんそれで儲けようとかいうことではない

「ゆるし続けなさい」「見捨てない」というイエスの言葉と姿勢がその当時の宗教家には感じられなかったのです。その時代の宗教家は、律法という枠の中に入らないと神から見捨てられるという考えが浸透していました。

キリストはその枠を取っ払ったのです。「清くなれ」というのは「差別される 排除される」存在から人間の仲間として認められることでした。キリストのメッセージはそこにありました。今まで押しつぶされてしまっていた、自分たちは駄目な人間であると思いこんでいた、そういう人の中に入ってひとりひとりを仲間として人間として大切にしました。

それがエクレジアの原型でした。

その弟子たちが書簡をあらわしたときに、そういう人間ひとりひとりにたいする優しさ、誠実さ、を専門用語にしました。それが「愛」という言葉でした。

パウロはもっとも素晴らしいものは「愛」で愛がなければすべてが空しいと述べています。

ところが「愛」という言葉が一人歩きしだします。「愛」ですべてを語ると、ふれあいの機微が抜け落ちて現実から遊離してしまいます。「愛しなさい」と距離を置いてしまうようになったのです。現実の中でよりそっていくのを忘れてしまいます。

優しさ、誠実さ、真実を持った人と人との出会いのムーブメントをつくり出した、その人と人との誠実なムーブメントが教会そのものだったのです。この段階の「教会」はキリストとの出会いが支えになっています。ある意味では仏教徒でもできるのです。

この「教会」のイメージは現在のカトリック学校の中でも通じるものがあります。信者の先生も一般の先生もそういうムーブメントを大事にしている、その時点での協働作業が学校をつくりだしていくとしたら、信者であろうか亡かろうか問題ではなく、それぞれの誠実さを踏み台にして関わっていくことこそが大事にされます。このムーブメントのエネルギーの確かなのがカトリック学校であります。その魂を尊重しながら、協力していくことが「教会」でも学校でも大事なのです。

第2ステップ 殉教者の教会2step


一方でユダヤ社会からの弾圧、他方ではローマ帝国による弾圧のなかで築かれた教会像です。

ムーブメントの仲間であることが命がけになってくるときです。ここでは強さが求められました。いつのまにかその理想がうすれ、厳格主義や純粋さが要求されていきます。どんなことがあっても命がけで信仰の純粋さを守ることが信者に要求されました。

信者になることが、真面目でそういう気持ちを持っていないと仲間になれなくなってきます。

遠藤周作は「沈黙」でキチジロウという人物を描きます。驚かされるとすぐに裏切ってしまうが、でもまた教会に戻ろうとするのです。

自分の人生の弱さをみとめて転んではまた悔い改めるをくりかえす、そういう信仰が本物なのかそれとも、殉教者の信仰がほんものなのか。正しいものとしてうけつがれているのはもちろん後者の信仰です。

その名残は今でも残っています。転んだものが当時排斥されたように、現代では離婚したもの、自殺したものには教会の墓が与えられなかったのです。それゆえに教会から遠いところにある教会のイメージができあがってしまいました。迫害に屈しない立派な信者でなければならないという感じが強まりました。

第3ステップ 神の国と地上の国

3step

このステップの教会像は、ローマ帝国で公認された4世紀後半から5世紀に欠けて作られました。それは、聖と俗、神の国と地上の国とを分ける考え方のもとに生まれてきます。一般社会(世俗)の中にはいると自分たちの純粋さが失われて罪に汚れてしまい、教会にいって清めてもらうというイメージです。

教会は「神の国の門・天国の入り口」です。「修道生活」は世俗を捨てて神の国に生きようとすることであり、司祭は聖堂の中で待っていて、ミサをあげるのがその役割となりました。

それはヨコの関係というより、タテの関係でできあがっています。それがずっと受けつがれていきます。聖職者たちはきよい、自分たちは俗っぽいという関係です。

このステップには黒に近い灰色の世界が存在します。営業に関わって接待をする仕事はそうやって灰色の世界に生きていることです。

カトリック学校にホーリーな存在があったら楽なのですね。資金繰りとか生徒集めのような仕事には手を汚さず、自分たちは祈りと指導の聖なる部分に専念したらいいというのはこのステップのようなあり方でした。

でも、これは教会の本質ではありません。本質は誠実な人と人との共同体のムーブメントなのです。

この「教会」のイメージはアウグスチヌスが神学的バックボーンとなりました。彼は「神の国」という著を残し、二元論的な考えを持ち込みました。

第4ステップ ヒエラルキーとしての教会

4step

ローマ帝国がほろび、ヨーロッパ中世に築かれた教会像です。

神を頂点として、キリスト、教皇、司教、司祭、修道士、信徒という階層ができあがっていきます。

教会は神の国に導くリーダーであり、教会を通して神の愛が注がれていくというイメージの教会像です。

この時代の平均的なシンボルとしての教会はたとえばパリのノートルダム聖堂を思い起こしてみてください。天をさしている教会です。

現代の教会は変わっているが、天井を仰ぐイメージは残っています。闇を作り、人間の小ささを感じさせるとともに、天井を仰ぐ、光はどこからかというとステンドグラスをとおして光りがやってきます。

この時代の宗教性のシンボルがこの大聖堂であり、政治権力もこの中に入ってしまいます。教皇は天上に向かう剣と地上に向かう剣の二つの剣を持っています。

ペトロが二つの鍵つまり天国の鍵と地上の鍵をもっているというのは、まさにこの時代に生まれたイメージなのでしょう。

ところが、権力は必ず腐敗します。権力は人間の魔物であり、誘惑であり、教皇たちが堕落していったのは、まさにこのゆえでしょう。

塩野七生は「ルネッサンス時代の女性たち」という本を書き、女性たちを通して教会の堕落を描いていきました。

サラセン帝国がスペインに侵入し、コンスタンティノープルの大司教が教皇に助けを求め、十字軍の結成が決まる。その時の教皇の説教は講談社から出ている教会の歴史の本にあります。

教会の2000年の歴史は「全世界に行って福音を述べた」歴史でした。しかし、その裏には全世界は潜在的にわれわれのものであるというおもいあがりが隠れています。

十字軍がサラセンを力づくで追い出し、ユダヤ人たちを惨殺し、そのあと兵士たちに3日間のなにをしてもいいという自由を与えました。教皇のおおきなあやまちだったといわれます。

教皇や司教になることを貴族たちが金で買うようになりました。りっぱなかたちになったのだがなかで腐敗が進行していたのです。

第5ステップ 「信仰のみ、聖書のみ、恵みのみ」の教会


5step

このヒエラルキーが邪魔である。これを排除して「信仰のみ、聖書のみ」の教会を作ろうとしたのがこのステップです。

プロテスタントの教会には3つの原則がありました。「信仰のみ 聖書のみ 恵みのみ」で、その他の間に入っているものを排除しました。

教皇ユリウス2世はサンピエトロ大聖堂の建築を企て、設計をミケランジェロにたのもうとするのですが、お金がないので建築の寄付を集めようとします。そのときに「献金箱に金貨を入れてきれいな音がすると地獄に落とされている人たちが天国にいける」と説明しました。

これをルターが怒ります。経済的に疲弊しているのに大聖堂を建てようとするのに怒るのです。聖職者はキリストの代理者であるはずなのに、その聖職者たちが腐敗堕落しているとして宗教改革を断行しました。

第6ステップ トリエント公会議による教会改革

6step

プロテスタントの宗教改革に対してカトリック側で起こった対抗宗教改革の教会像です。

宗教改革で生まれた教会は、主観主義、個人主義のもとでどんどん分裂していきます。

これに対して、客観的な繋がり、形があるはずで、カトリック教会のお堅いといわれている根っこを見直そうとします。ここでは、神、キリストと人びとの間に「掟、教義、秘跡」をおきます。

神学院制度が確立し、司祭になるにはお金でなく、教育して司祭になる。司祭の独身制度が明確化されたのもこの時代です。

また政治との関係はなくなるのですが、教会は聖職者中心主義に陥り、一般の信徒は司祭に依存しなければ何もできなくなるようになります。信徒たちの受動性はこのころから根がはっていき、教会で司祭を前にすると何か一歩下がり、ホンネでは向き合えないという思いこみはここから出てくるのです。

第7ステップ 現代社会と対立する教会

7step

18世紀から20世紀の半ばにかけて、西欧の社会は民主主義、自由平等、合理主義、科学の発展、実証主義、資本主義、産業革命という大きなうねりが生まれてきました。

これらの動きに対し、教会は「自由は人間に毒 信仰の従順こそ救い 自由平等は教会の敵」といって批判します。ルイ王朝を支える特権階級の聖職者たちのイデオロギーでした。

しかし、アメリカの独立宣言では、神の名で自由平等が与えられました。プロテスタントの教会の「神」はこれらの近代化を受け入れその推進者になっていったのに対し、カトリック教会は反動的にこれに対抗していきます。

カトリック教会はプロテスタントを異端として排除し、プロテスタントはカトリックを排除した独立宣言、近代化を進めていきます。

ガリレオの科学的合理性に対しては、キリストの奇跡を否定する迷信として否定し、これを宗教裁判にかけて弾圧してしまいます。

資本主義は金儲けだとしてこれを忌み嫌い結果的に貧しい労働者の悲惨な状況を否定することにつながり、共産主義は無神論として反共の立場を固持し、「貧しいものは幸い」とするキリストの教えから遠ざかっていきます。

世俗の悪に染まっても教会の中に来ると救われる、教会の外に救いはないという教会像を、マルクスは「宗教はアヘンだ」といって厳しく批判します。

このような対立のままに20世紀まできてしまいました。

実はカトリック学校はこの中で生まれました。それは「この世界の過ちがどこにあるかを教え込む」啓発運動だったのです。迷った人に伝えなければならないという思い込みのもとに、正しい教えを教え込むというのがカトリック教育だったのです。

第8ステップ 第2バチカン公会議の教会像

8step

20世紀の半ばの歴史的大転換が生まれました。それは第2バチカン公会議によってもたらされました。

自由平等と資本主義が結びつく競争の論理、資本の取り合い・利益の奪い合いが国と国との競争をつくり、時には戦争を生み出してきた。2度にわたる世界大戦は、個人レベルの競争が地域、国レベルでの競争となり破壊活動にまで発展しました。ヨーロッパの教会はそれにたいして何もできなかったのです。

その深刻な反省のもとに新しい教会像が生まれます。

フランスの教会では、ナチの侵入とそれに対する抵抗運動(レジスタンス)をサポートして強制収容所に入れられた司教がいました。強制収容所で番号札を首にぶら下げた司教たちは教会を変えなければならないことを痛感します。

バチカン公会議はそのような思いのもとに開催されました。いわば教会の原点に戻ろうとしたわけです。

人間の共同体ムーブメントとの上に築かれた上部構造でその本質が見えなくなっていて、苦しんでいる人と向き合えない状態だったわけです。公会議はそれを変えなければいけないと整理し、人と向き合う教会に戻す動きでした。

この公会議は、ヨハネ23世によって1958年に召集されました。

公会議の文書は「すべての善意ある人びとに」という呼びかけ文ではじまります。平和のために宗教やイデオロギーを越えて世界全体への共同責任としてともに働こうと呼びかけています。

それは、キリスト者だけでなく、あるいは貧しい人だけではなく、すべての人間に対しての誠実さを表現しています。

カトリック学校の責任についても、よりグローバルな教育をになうべく、いろいろな人の知恵とか力を生かしていくことを求めています。これは教会と教育に対しての伝統的なメンタリティをほぐしていく呼びかけでもありました。

カトリック学校の中においても、司祭や修道者の現象にともない、信者だけではなく、そうでない善意で誠実な人びととの協働を必要としています。これこそまさに公会議における精神が学校教育にも浸透していることを洗わしています。

注)この文書は講師の承認を得たものではありません。したがって文責は養成塾事務局の土屋至にあります。

このページのトップへ