第9回 弟子・使徒職

仙台白百合学園中学・高等学校 土倉 相

これまで、聖書やイエス・キリストのことを学ぶ・・・という視点での講座が続いていましたが、今日は、自分がカトリック学校の教師であるいうことを意識して、自分自身のこととして話を聞いていただければと思います。今日の話の目標は、次の2点です。

①イエスの弟子、使徒とはどんな使命をもった人達かを知り、カトリック学校との関係を整理する。

②カトリック学校に勤める者として、「イエスの弟子」や「使徒」という言葉と「自分自身」には、どのような関わりがあるのかを考えるヒントを探す。

特に②を具体的に考えるために、使徒パウロの生き方を下敷きにできるように紹介したいと思います。

話の中で、第二バチカン公会議や教育聖省の文書なども紹介しますが、「こう書かれているから、こうでなければならない」という意味で紹介するつもりはありません。私たちが、働いているカトリック学校やそれを支えているカトリック教会の姿をまず客観的にみておきたいという意図での引用です。私たちはもう、カトリック学校という「船」にそれぞれが乗っているわけですが、それぞれの船が集まって同じ方向に向かっている大船団になっているということを意識しなくてはいけないという話でもあります。

1)               弟子、使徒を知る~カトリック学校の「使徒職」

使徒とはギリシャ語で απόστολος (apostolos) と言います。「派遣された者」という意味をもち、マルコによる福音書(3;14)によれば、イエス自身が12人の弟子を選び、自ら「使徒」と命名しました。「派遣された」とは、誰に向けてでしょうか?生前のイエスはイスラエルの民が対象と考えられます。マタイによる福音書には「異邦人の道へ行ってはならない」という言葉さえみられます。受難と復活、昇天の後、「全世界、すべての民へ」と初めて変わったのです。派遣の目的は「福音を告げること」です。

もう少し詳しい説明をします。

森一弘司教「キリストの言葉」より

使徒とは、権限を委託され、その人物に代わって、その望むことを伝えたり、果たしたりする重要な人物をさす。使徒(遣わされた者)は遣わす者と同等にみなされ、伝統的なユダヤ教にはない新しい概念だった。(伝統的なユダヤ教では教えを伝えるのは預言者、祭司、律法学者、ラビ)

イエスはなぜ使徒を選んだのか?(使徒の使命)

1)彼らをそばに置くため・・・キリストのよき理解者、協力者になる

2)派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能をもたせるため・・・人間の悲惨な姿に心を動かし、悲しみに共感して、そこに走り寄っていく。愛の実践を行う。

ベネディクト16世「使徒」より

福音を告げる目的は、「神との交わりに人々を招くため」である。「交わりは、今日すべての人を脅かしている孤独と戦うために主が私たちに与えた薬」

教会は信仰、希望、愛の共同体である使徒たちを土台にして建てられた。

使徒は交わりへ奉仕する共同体  使徒の後継者は教会に与えられた信仰の遺産の守護者であり、その権威ある証人であると同時に愛の奉仕者である。

一般に「使徒の後継者」とは「司教」を言います。しかし、第二バチカン公会議(1962~65)後、聖職者だけではなく、一般信徒の使徒としての役割(信徒使徒職)が強調されるようになりました。

第二バチカン公会議の文書には次のようなものがあります。

第二バチカン公会議「教会憲章」より

キリストの一つのからだを構成する信徒は誰でも、生きた構成員として、教会の発展とその絶え間ない聖化のために、創造主の恵みと贖い、主の恩恵によってうけた自分のすべての力を用いて協力するように招かれている。(4;33)

第二バチカン公会議「信徒使徒職に関する教令」より

その能力に応じて教会の発展に寄与しない構成員は教会にとっても、また本人自身にとっても無益な構成員と言わなければならない。信徒は福音の宣布や人々の聖化に尽くすとき、また福音の精神を世間に浸透させ、その秩序を完成するよう働くとき、使徒職を行う。(1;2)

この2番目の文書などはかなり厳しいものですね。信者の先生は困ってしまうかもしれません。何か重荷を背負わせられているように感じる人もいるかもしれません。では、この「使徒職」と呼ばれるものはカトリック学校とどのような関係にあるのでしょうか。信者ではない先生はどのように考えたらよいのでしょうか。何も考えなくてもよいのでしょうか・・・。

◎カトリック学校と使徒職の関係、カトリック学校の教職員と使徒職の関係

ローマ・カトリック教育聖省「カトリック学校」(19773)より

カトリック学校はそれ自体が、「真の使徒職」を繰り広げていく。カトリック学校の使徒職に携わる人は「教会の必要欠くべからざる任務」を果たしているのである。(5;63)

ローマ・カトリック教育聖省「紀元2000年を迎えるカトリック学校」(199712)より

カトリック学校において、ユニークなキリスト教的な学校の雰囲気を創る第一の責任は、個人として、また共同体としての教師たちである。(8;19)

カトリック学校は、それ自体が「使徒職」を行う機関ととらえられています。しかし、ここまでは、カトリックの信徒である教師を対象とした話と考えることができます。必ずしもカトリック学校の教師が信徒であるとは限らない日本において、このあたりはどのように考えればよいのでしょうか。

◎日本のカトリック学校で、信徒でない教職員をどう考えたらよいのか。

森一弘司教「カトリック学校のアイデンティティを求めて」(20087月全国カトリック学校校長・教頭合同研修会講演資料)より

1980年後半に全世界のカトリック学校のための指針を明確にする必要性を感じたバチカンは、素案をつくり、それを全世界の教会とカトリック学校関係者に送付し、意見を求めた。それを参考にし、1988年にローマで会議を開催し、指針を完成しようとした。その素案の一項目に、「カトリック学校で働く教職員は、カトリック教会の教えを理解し、それに忠実な者でなければならない」という条文が入っていた。そのまま適応されてしまえば日本のカトリック学校に勤める教師の大半が失格ということになる。日本だけでなく、中南米、北米、カナダなどの司教たちも、それぞれの理由から条件を和らげることを求め、その結果条文は穏やかな表現に置き換えられ、「カトリック教会の理解者である」という内容になった。

溝部脩司教「カトリック学校の福音的共同体を築くために」(20042)より

信仰の有無にかかわらず、カトリック教育の現場に立つ者すべてが、教職員として指導の根幹にキリスト教的な理念をもつように努力しなければなりません。宗教教育を支えるのは、カトリック学校教職員全体の責任であり、その意味で、あらゆる教科や生活指導、学級経営の中に宗教的価値観や宗教的な情操を大切に育てていくことが必要となります。

つまり、日本においてもカトリック学校が使徒職実践の場である以上、そこで働く教職員は何らかの形で、使徒職に与るように招かれていると言えそうです。実際、カトリック学校の「教員募集」の中の要件として「カトリック教育に理解があり、協力できる方」というような表現が必ずみられるはずです。すでに、教員になっている方は少なくとも「理解者」であることが求められているわけで、大きな意味での教会の「使徒職」に与っているのだと言うことができてしまうのです。

2)自分自身の問題として考えるために~聖パウロの生き方から得るヒント

前半で、私たちが勤めるカトリック学校と「使徒職」の関係を見ました。では、私たち、「イエスを直接知らない者」が「使徒職を果たす」とは何をすればよいのでしょうか?「使徒職を行う」ということを考えたときに感じる「戸惑い」、「ためらい」、「プレッシャー」を感じる方も多いと思います。それを、どう整理すればよいのでしょうか?信仰をもたない教職員はどのようなスタンスで使徒職に与ればよいのでしょう?聖パウロの生き方、心の変遷を追いながら、このあたりの考え方を示してみたいと思います。

◎聖パウロはどのような人だったのか

一般的なイメージは、聖アウグスティヌス(4~5世紀)の言葉「パウロは赤いライオン、神の偉大なライオン」から連想されるように、「強い意志の力をもっており、妥協やためらい、中途半端を憎む強い人」というものです。しかし、パウロは別なとらえ方もできるのです。

聖パウロは3つの側面で捉えることができる

ア) 民族としてはディアスポラのユダヤ人・・・エルサレムを離れたユダヤ人

イ) 環境においてはヘレニスト・・・ギリシャ文化の影響を受けて育った

ウ)市民権によってはローマ人・・・帝国内のエリート階級

ア)ユダヤ人としての聖パウロ

ファリサイ派としての最高の教育を受けていたパウロにおいて、生活の中心にユダヤの律法があった。また、ユダヤ民族には特徴的な時間や歴史のとらえ方がある。イザヤ書やエレミア書に使われている「将来」という言葉はアハリート、「過去」はケデムという言葉だが、アハリートには「背中」、ケデムには「目の前」という意味がある。日本人の感覚とは正反対と言える。「過去はもう誰も変えることができないので皆で目の前に置くことができ、そこに神の導きや恵みを探すことができる。未来はまだ誰にも見えないので背中の方にある」という考え方である。パウロもこの考え方をもっていたはずである。

イ)ヘレニズムの環境で育った聖パウロ

聖パウロが身につけたのは、ギリシャ語と論理的な考え方である。ギリシャ哲学(ストア派)の影響も受け、パウロはすでに若い頃から大きな世界観を確立していたのではないだろうか。

ウ)ローマの市民権をもつ聖パウロ

規則をつくり、組織をつくり、強い軍隊をもっていたローマ帝国。全体の秩序は重んじられていたが、格差社会ができており、富裕層の人々には道徳的な退廃もみられる社会。ローマの市民権をもっているということは帝国内でのエリートに属することを意味していた。宣教活動の中でこのローマ市民権を有効に生かし、また、一人のローマ市民として、パウロは「人間を組織の歯車としてしか見なさない社会」、「人間を競争相手としか考えない社会」と対峙する。

◎聖パウロと回心

回心前のパウロ・・・律法熱心であったパウロは律法を守らないヘレニストキリスト者を迫害していた。律法の敵がパウロの敵。

回心の後のパウロ・・・自らヘレニストキリスト者の中に入り、シリアのアンティオキア教会で活動を始め、異邦人への宣教旅行を行う。

この回心に際し、ユダヤ人の考え方で目の前に自らの過去を置き、人生を振り返ったパウロは何を考えたのでしょうか?

パウロは、長い時間をかけ、それまでの自分の人生・境遇が神によって用意されたものであったことを確信しました。

「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた・・・」(ガラテア1章15節~)

◎聖パウロと他の使徒との違い

「すべてを捨てて、イエスに従った」ペトロやヨハネたち(ルカの福音書による弟子の召命)とは反対に、パウロは「すべてを生かしてイエスに従った」と言えるのではないかと思います。

聖パウロは人生の中で与えられたすべてを、感謝の心で生かそうとしました。イエス自身に出会えなかったこともハンデとは考えず、ファリサイ派の教えに通じ強い拘りをもっていたこと、従っていたことも恥とはせず、生かしていきました。ヘレニストとして身につけた広い視野と世界観で物事をとらえ、ローマ市民としての特権も最大限利用する生き方をしました。このような生き方を、パウロは回心後、長い時間をかけて身につけていったわけです。回心前までの自分の人生を「感謝の心」で受け入れることができたのがパウロだったのではないかと考えられます。

感謝とは「すべてを神に任せる」という信頼であり、「祈り」と結びつきます。聖パウロは「感謝の人」であったととらえることができます。事実、「感謝」という言葉は全聖書の中で、パウロの手紙の中で最も頻繁に使われています。

「どんなことでも思い煩うのはやめなさい。何事につけ感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすればあらゆる人知を越えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピの信徒への手紙4章6節)

◎聖パウロから学ぶ「使徒の生き方、生きる姿勢」

自分のこれまでの歩みを振り返り、感謝のうちにそれを生かしていくことができるでしょうか?

自分を振り返ることの大切さ、自分の人生の中に神の働きかけをさがしてみることが自分自身の在り方を学ぶヒントになります。

マイナスに思えるような境遇や歩みの中にも神の導きがあるのではないか?という視点が大切です。

3)まとめ

カトリック学校を職場として選び、あるいはそこへ導かれて歩んできた私達も、一人ひとりが「母の胎内にいたときから、そのようにあるよう、選び分けられ、招かれてきた」と感謝の心をもって考えることができたら、今、それぞれにできる「使徒職」が、はっきりと見えてくるのではないでしょうか。「何かをしなくてはならない」という答えがもうカトリック学校の中に見える形であるわけではありません。一人ひとりの教師が「おそれ」や「ためらい」を捨て、それぞれの力を十分に発揮することで、初めて見えてくるものです。「すべてを生かす生き方」、「自分を使い切る生き方」をパウロに倣いたいと思います。

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